ここ数日の寒さには寒さ暑さに弱い?私としては厚着で何とか乗り切る様にしております。
十月の屋久島に続き先月は、初めて高野山に行って来ました。
今年に入り四月の熊野古道、六月の伊勢神宮、そして高野参詣の旅が続き心休まる日々が続きました。
聖地高野山に向かう道は幾本もありますが、山に近づくにつれて合流、七つの道に集約されて山中に入りそのうち九度山の「慈尊院」から山上西口の「大門」へ通じる表参道を「町石道」と言います。
今回この「町石道」で「奥之院の弘法大師御廟」を目指しました。
「町石道」は、空海が開山のおり木製の「卒塔婆」(一町ごとに建てられおり180町石あります)を建てて道しるべとした山道で「奥之院」までおよそ23キロの道のりです。
聖地へと続く道しるべをたよりに山道をひたすら歩きます。
途中いくつものお堂や鳥居などを通り数回の休憩や昼食を取り「大門」までおよそ7時間半の道のりを終えました。
ちなみに車で行けば、およそ15分で着くとのことでした。
「大門」は、高野山一山の総門で山中随一の門でこれを目にした時は、山道達成感で思わず万歳をしたい気分でした。
「大門」を抜け高野山全体の中心をなす壇上伽藍エリアの「根本大塔」は、空海が開創され真言密教のシンボルとされる根本道場の建物です。
また伽藍の中央にある一山の総本堂の「金堂」で、高野山の主な行事はここで執り行われます。
「金剛峯寺」は、高野山真言宗の総本山で全国に約3600ヶ寺の末寺を有します。
今回宿泊は、金剛峯寺東隣の別格本山「總持院」という宿坊でした。
イメージで宿坊は、食事含めどんなもんかとの気持ちがありましたが精進料理もおいしく又早朝の法要も気が引き締まるひと時を過ごせました。
奥之院エリアの「一の橋」から「弘法大師御廟」までの約2キロの参道の両側には、樹齢数百年の杉の大樹とともに秀吉・信長・上杉・武田などの歴史に名を残す諸大名の墓地や供養塔などおよそ20万基が立ち並んでいます。
その中で豊臣秀吉の広いエリアの墓に比べて織田信長のお墓のこじんまりとしたそれが、やけに心に残りました。
すこし離れた場所にある「女人堂」では、毎月八日の午前九時の護摩祈祷に偶然出会へ良い経験が出来ました。
今回の「高野山参詣」で一応歴史探訪は、ひとまず無事終了と思いますが、カミさんは空海の真言宗を経験したので次回からは、天台宗の比叡山から延暦寺までの参道巡りを計画?しているようで今後どうなることやらです。
毎回カミさんのおかげでとても良い経験をさせてもらっています。
感謝の一言です。これからもお互い健康第一で過ごします。