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Chairman's Diary 会長日記
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今年は、10月に入っても暑い日が続き中々本来の秋らしい日が来ませんが、毎朝の観音様境内はすっかり秋の兆しを感じます。
早朝にも拘らず境内は、外国からの観光客が多く「雷門」で記念写真を撮るのに列をなしている事に驚かされます。
この季節我が家では慣例になっている「上高地」に行って来ました。
今回は、6月に観光に寄った際に時間がなく行けなかった場所があった「飛騨高山」に再度の訪問も加えました。
飛騨高山では、6月に本陣平野屋「花兆庵」に宿泊した際に宿の方から参拝を推められたのにもかかわらず、時間がなく行けなかった「日枝神社・冨士社社殿」にようやく参拝もでき、また6月の訪問の際にたまたまお休みだった高山市内のレストラン「ル・ミディ」でもやっと食事が出来ました。
この店の名物の飛騨牛のハンバーグステーキは、うわさ通りの美味しさでした。
店内を見渡すと私たち以外はすべて外国の旅人達ばかりでまるで自分達が海外にいるような錯覚を覚えました。
今宿泊で節目の10度目になる「上高地帝国ホテル」では顔見知りのホテルマンが「宿泊の支配人」や「レストランの支配人」になっていてよりコミュニケーションがしやすく多少のわがままも聞いてもらえました。
一日二組限定で提供されるホテルのシンボル、マントルピースの炎を眺めながらのチーズフォンデュは美味しさも気分も最高でした。
7月の台風で木道の一部が損傷し通行止めの個所があり今回は「大正池」から「明神池」までの軽いトレッキングとなりました。
昨年は、丁度この時期に念願の「涸沢カール」まで行けた事がよみがえり、今となっては良い想い出になっています。
思うに年々上高地は海外からの観光客が増えていますが、今年は特に欧米からの旅行客が目に付き昼過ぎには木道は、欧米のトレッカーが列をなしていました。
静かな上高地は、やはり早朝に限りますね。
上旬の「上高地」に続き今週は、これまた我が家お馴染みの「奥日光」にも行って来ました。今回は昨年初めて行って気に入った、「丸沼温泉」と「奥日光」の軽めのトレッキングです。
「丸沼」では、宿泊した湖畔の「環湖荘」の敷地内に在る丸沼自然遊歩道(牧水古道)を早朝散策しました。
丁度釣りの季節で早朝からのルアーフィッシングの釣り人の姿がとてもクールでした。
「環湖荘」は、釣りを趣味にした小説家の「開高健」の定宿としても名が知られている宿です。
「奥日光」では、いつもの「小田代ヶ原」と「戦場ヶ原」一周のコースでなく今回は、早朝から「赤沼」から「戦場ヶ原」を抜け「湯滝」から「湯ノ湖」を一周する14キロほどの軽めのトレッキングを楽しみました。
「奥日光」の草紅葉と澄んだ空気にとても癒されました。
帰り妻のリクエストで「霧降高原キスゲ平園地」の天空回廊の1445段の階段を再度チャレンジすることになりましたが、私は昨年妻と一緒に展望台まで往復達成していたので今回は妻のみのソロ登頂でした。
無事往復登頂した妻は、再度「登頂記念証」を頂いてきました。
妻の執念凄し!
昼食は、お馴染み「明治の館」で私は「サラダ・オニオングラタンスープとつぼ焼きビーフシチュー」で満足の締めくくりでした。
我が家からおよそ2時間半・往復約420キロのプチ旅行は、健康のありがたさをしみじみ感じる「時」です。
健康に感謝!
少しずつ早朝の空気も秋らしくなってきました。
毎朝参拝する浅草寺境内では、早朝にも拘らず海外からの観光客が境内や雷門で記念写真を撮る姿が大変多く見受けられます。
6月から開催されていた、パナソニック汐留美術館の「ポール・ケアホルム展」に終了ぎりぎりに何とか間に合って行くことが出来ました。
北欧モダンデザインの名匠の椅子を中心にした作品展です。
椅子の研究と収集で有名な「織田コレクション」からケアホルムの家具約50点と関連資料が展示されていて家具好きの私としては、大いに楽しませていただきました。
何度か作品展で訪れていた、現代美術を中心とした品川に在った「原美術館」が2021年1月に残念ながら閉館しましたが、その姉妹館の「原美術館ARC」に以前より行きたかったのですが、今回やっと行くことが出来ました。
館は、伊香保温泉にも近く今回は美術鑑賞と温泉とのプチ旅行です。
建物は、建築家の磯崎新氏による設計でピラミッド型の屋根のAと両翼に細長く伸びるギャラリーB・Cというシンメトリーを意識して配置された展示室で現代美術を楽しめました。
屋外展示は、アンディウオーホルなど内外の現代作家の常設作品が点在していました。
また併設されているレストラン「カフェダール」は、雄大な景色を眺めながら、ゆっくりと食事を楽しめました。
お恥ずかしながら伊香保に行くまで知らなかったのですが、近くに「竹下夢二伊香保記念館」が在り、大正ロマン漂う夢二の日本画を中心に詩や楽譜の装丁などが多く展示されていました。
夢二の最高傑作、「黒船屋」のレプリカも展示されていて驚きました。
また100年以上前に制作されたアンティークオルゴールの音色やアンティークピアノの演奏も楽しめました。
今回初めて行った伊香保温泉では、365段の石段を上った先に在る「伊香保神社」で参拝をした後にロープウエイに乗り「上ノ山公園」に行きました。
園内に在る展望台では、好天も幸いして遠く上高地や尾瀬などが一望できのんびりと楽しい時間を過ごせました。
帰りに日本三大うどんの一つに数えられている、水沢うどんの名店「五代目花山うどん」で食した、石段あい盛り二味(鬼ひも川・ひも川)の胡麻つゆが大変美味しかったのでお勧めです。
今後も体調管理怠りなく日々過ごし、行きたい所に行き、美味しいものを食べて過ごしたいと思っております。
日々感謝です。
8月、台風10号の影響で各地で豪雨被害が広がっており、地元浅草でも海外からの観光客を含め急な雷雨で戸惑う旅行者が右往左往する姿が多く見受けられました。
以前からの旅行計画も変更を余儀なくされるかと思いましたが、何とか中止することも無く実行出来ました。
一度は行きたいと思っていた、毎年9月の1~3日に開催される越中八尾の「おわら風の盆」と「黒部ダム」に念願かなってようやく行くことが出来ました。
「おわら風の盆」は、豊作を願い八尾の町11各町会で歌・三味線・胡弓・太鼓の音色をバックに町流しや輪踊りしながら町内を巡る伝統芸能です。
各町会では、それぞれの浴衣で男踊り女踊りに嗜好をこらして町内の道沿いにいる観光客を楽しませます。
特にNHKで放送された「鏡町」の男女混合踊りには観光客が公演前から並びましたが何とか鑑賞出来ました。
期待通りに男踊りと女踊りのきめポーズでは、観客から拍手が起こりました。とてもかっこよかったです。
翌日立山黒部アルペンルートを通って黒部ダムまでなんと6つの乗り物を乗り継ぎ直線距離約25キロ最高標高1975mを楽しんで来ました。
途中「称名滝」にも寄ってきました。
称名滝は、立山連峰を源流とする落差日本一の大瀑布(350m)で4段に折れながら流れ落ちる迫力満点の滝でした。
丁度雪解け水が多く流れ込む時期でしたので、隣に「ハンノキ滝」落差(500m)も同時に見ることが出来ラッキーでした。
6つの乗り物は、立山駅から美女平まで①ケーブルカー、室堂駅から②立山高原バス、大観峰駅まで立山トンネルを今年最後になる③トロリーバス、黒部平駅まで日本随一1702mの支柱の無い④ロープウエイ立山、黒部湖駅まで⑤ケーブルカー黒部、徒歩にて黒四ダムを渡り最後の黒部ダム駅から関西電力の⑥電気バスにて扇沢駅まで北アルプスの山岳地帯を縦貫します。
途中冬場高さ20mにも迫る雪の壁「雪の大谷」で有名な「室堂」では、「みくりが池」をぐるりと回る周回コースで立山連峰を堪能いたしました。
念願の「黒部ダム」は、何度もTV等で紹介されて詳細は知っておりましたが、やはり実物は大迫力で丁度観光放水も行われており絶景ポイントが数カ所ありましたがどのポイントまでも、階段続きで大変疲れました。
ダム完成まで7年の歳月と171名の工事関係者がお亡くなりになる大工事で、その記録フイルムも鑑賞でき多くの工事関係者の方々の大変な苦労がしのばれ、最後に「慰霊碑」に手を合わせてきました。
この時期念願の「おわら風の盆」と「黒部ダム」と「室堂」のみくりが池からの立山連峰の展望が叶い、とても充実の日々を味わいさせてもらうと同時に健康の大切さを改めて感じた日々でした。感謝!
猛暑日が続いておりますが皆様は、いかにお過ごしですか?
地元浅草も連日の暑さにも関わらず国内外の観光客で相変わらず賑わいを見せております。
27日には、「第47回隅田川花火大会」が開催され約2万発の花火が90分にわたり打ち上げられました。
例年浅草駅などの最寄り駅では、大変な混雑が報告されており今年も91万人の人出でごった返したようですが、小雨はありましたが無事に今年の隅田川花火大会も終了いたしました。
今月は、公私ともに長年にわたり大変お世話になった中高の恩師が86歳でお亡くなりになりました。
数度の病気にも関わらず不死鳥のようにその都度再起されお元気になられたのですが、今月静かに天に召されました。
先生は、中高で私が御属していたバレーボール部の監督をされていたご縁で公私にわたり青春時の悩みを随分聞いていただき、その後の人生の支えとなる言葉を沢山頂きました。
結婚時には、お仲人もして頂きお元気な頃は、浅草の我が家にも何度も来られ、酔いが回るとそのたびに先生お好きな「マイ・フーリッシュ・ハート」の唄を口ずさんでおられました。
下町育ちの母とも気が合っていたようで来られた時には、雑談で大いに盛り上がっていたのが忘れられません。
本当にお世話になり今はとても寂しい気持ちでいっぱいです。
葬儀には、多くの方々が来られ先生の生前の人望がしのばれました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。お疲れさまでした。
猛暑続きのさなか突然寝室のエアコンがダウンしてしまいました。
今月に入ってほとんど一日中つけっぱなしにしていたせいも有るのかもしれませんが、連日の寝苦しい夜には扇風機だけでは到底熟睡出来ません。
早速修理依頼したところ、部品交換ではダメそうなので仕方なく新規に購入することにしたのですが、猛暑の為か取付工事が混雑状態なので設置日は、10日後になりそうです。
その間別の部屋で寝る事にしたのですが、どうも寝付けません。
部屋が変わっても旅行中は、特段そのような事はあまり記憶がないのですが・・・
日々の日常であたり前に過ごしている事でも、もしそれが当たり前でなくなる事になるとこんなにも不便を感じるものかとあらためて気が付いた次第です。
災害に遭い家を失ったりして日常生活に大きな支障をきたしたりした方々をTVなどで拝見した際に感じた事が、いざ自分に起こった際には果たして自分はどう対処するだろうかと、恥ずかしながらたったエアコンの故障一つで日々のリズムが狂って参った自分をこの年になり改めて見つめなおす事となりました。
まだまだ修行が足りないな~と期せずして亡き先生に天国から叱咤されているようです。
人生いくつになっても精神の修行は続くものなのですね。
梅雨が始まったのか終了したのか定かでない日々が続いています。
地元浅草も相変わらず国内外の観光客で大変賑わっております。
そんな混雑を避けて、初めて「白川郷・飛騨高山」に行って来ました。
勿論いつも通りの妻との二人旅です。
妻は過去二度白川郷・飛騨高山に行っていますが私は初めての訪問です。
今回は初めて「大人の休日俱楽部パス」利用の旅を経験いたしました。
添乗員さんが同行する旅は、本当に久しぶりです。
今まで地元浅草で海外の観光客の御一行様を旗を掲げて先導する添乗員の姿を「なんだ~団体旅行」かと思っていたので、自分が御一行様の一員となると何か恥ずかしさも多少ありました。
上野駅で待ち合わせして新幹線で一路「上越妙高駅」へ、生憎の小雨模様でしたが、駅からバスに乗り換え「ますのすしミュージアム」で富山名物ますのすしを食べ昼食を済ませました。
昼食後は、「井波別院の瑞泉寺」へ。
小雨降る中、日本遺産・木彫り彫刻の町「井波」を彫刻士のガイドさん付きで寺院内を散策。
瑞峰寺の欄間や獅子頭の木彫り彫刻は、「素晴らしい」の一言でした。
その後は、指定旅館にて夕食を済ませのんびり時間を過ごしました。
翌日は、天気も晴れて絶好の観光日和、まずはバスにて「五箇山 菅沼合掌造り集落へ」私が以前から思い描いていたイメージ通りの合掌造りの家々をボランティアのガイドさんの説明で集落内を散策。
合掌造りの成り立ちと世界文化遺産指定までの経過とその裏話等を楽しい解説で受け大変参考になりました。
「五箇山」は、観光客も少なくとてもコンパクトな合掌造りの集落でその原風景を楽しめましたので、次回はプライベートでもっとゆっくりお茶でも飲みながら時間を過ごしたいと思いました。
「五箇山」から再びバスにてお目当ての「白川郷」へ。
こちらは、大変国内外の観光客も多くまさに「世界文化遺産白川郷」でした。
自由散策と自由昼食でしたので「飛騨牛入りの肉そば」を頂きました。
集落を一望できる展望台が集落の中ほどから440mほど登り坂の先に在り、折角なので行くことにしましたが、久しぶりの登り坂は意外ときつかったです。
しかし展望台では、眼下に「白川郷合掌造り集落」が一望でき、まるで絵葉書を見るようでした。
気温が高く汗をかいたので展望台の売店でアイスクリームを頬張り一服いたしました。
集落の中程に在る国指定重要文化財合掌造りの「和田家」では、合掌造りの内部を見学出来て大変参考になりました。
この日は、天下の三大泉の「下呂温泉」の宿に宿泊いたしました。
こちらで初めて「有馬・草津・下呂」の温泉が日本三大泉と言うことを知りお勉強になりました。
下呂温泉は、流石に「いい湯だなあ~」でした。
最終日は、「飛騨高山」です。
朝食後の散策では、「飛騨高山の朝市」に間に合いましたが外国からの観光客でかなり混雑していました。
朝市散策後は、国司跡の「高山陣屋」にも寄ってみました。
こちらは、江戸時代の御役所で300年の時を超えて飛騨の歴史を物語っており、かなり広い敷地のお役所でした。
歴史案内によると江戸幕府は、当時飛騨を幕府直轄地とし、それ以来明治維新に至るまでの176年間に25代の代官や郡代が江戸から派遣され幕府の行政・裁判・警察の政務を行ったのが「高山陣屋」だそうです。
昼食は、折角飛騨に来たので「飛騨牛の焼肉丼」を堪能いたしました。
二泊三日の初めて参加の「大人の休日倶楽部」のプチツアーでしたが改めて添乗員さんのお仕事の大変さを痛感した次第です。
バスに乗ることが多く「お疲れ様~」でした。