BLOG BACK NUMBER 2012.11


PRESIDENT's DIARY -社長日記

NO.224 幸せな京旅行。

ここ数日朝晩まるで冬の気温で、寒がりの私としては、マフラーにコートでの冬支度です。
TVで京都の紅葉が綺麗なのを知り、“そうだ京都へ行こう”と相成りました。
まずは嵯峨嵐山へ、TVで放送されて混み合っている「二尊院」を避け「嵯峨釈迦堂」と藤原定家が小倉百人一首を編纂した庵の「時雨亭」へ、特に「時雨亭」は、紅葉の季節が特に京の名庭に数えられているようです。こじんまりとしたこの庵は、人もまばらで静寂の中で見る紅葉はなんとも言えず、日本人に生まれて良かった~の瞬間でした。
昼食は、混雑を避け早めに“とうふ料理”を味わい、一路浄土宗総本山「知恩院」へ。東山を背景にした「方丈庭園」の紅葉も素晴らしいものでした。紅葉の紅と言ってもいろんな紅が有る事を知りました。
夜は、「南禅寺」のライトアップされた庭園に行き枯山水と紅葉を満喫しました。
夕食は祇園へ、「祇おん 江口」で京料理を堪能。
翌日は、真言宗の「六波羅蜜寺」へ空也上人の立像と平清盛坐像などを鑑賞に行き、国宝「三十三間堂」では1001体のご本尊に圧倒されました。どこのお寺でも紅葉に満ち溢れていました。地元の人によれば、今年は例年になく紅葉が色鮮やかだそうです。
夜は京料理の「川とも」へ私も京料理の奥深さが少し解る歳になったようです。
「青蓮院」のライトアップは、現代的にLEDを多用したモダンなものでしたが、背景の竹林とのコントラストが大変グ~でした。
翌日は、朝早くに「永観堂 禅林寺」へ、こちらの紅葉も素晴らしいの一言でした。昼は以前に寄って気に入った、豆皿懐石の「祇をん 豆寅」へ、豆皿の京菜は十二の豆皿に京料理の伝統にのっとり、旬の素材を調理されたもので、大変おいしゅうございました。
カミサンとムスメとの京都三人旅は、紅葉と京料理を満喫した二泊三日の“幸せな時”の思い出の旅となりました。
おふたりさん、ちゃんと話を聴くから、懲りずにまた連れて行ってくださいね。

NO.223 初心に帰る。

朝晩すっかり寒くなり、あちらこちらから初霜・初雪の便りが届くようになりました。皆様も、これからはインフルエンザ等に気をつけてお過ごし下さい。
ところで先週の16日の金曜日に日経産業新聞の17面「中小・ベンチャー」欄の“トップの挑戦”コーナーに恥ずかしながら私が採り上げられました。
オリジナルのモノづくりにこだわった私の苦労話等を取材したいとの事で実現致しました。
会社の創業時の想いや最初の大きな壁を乗り越える困難さや乗り越えられた時の喜びなどなど取材を通して初心に帰る想いでした。
ここまでなんとかこられたのも、大勢の方々に助けられチャンスを頂けたからと想っております。これからも感謝の気持を忘れずに社会の役に立つオリジナルのモノを提案し続けます。
これからも分をわきまえ私らしくワイヤーの止め金具に特化し、ぶれずに前向きな気持で進んで行きます。
今後ともご声援、宜しくお願い致します。
それにしても今まで何度か取材を受け写真を撮られた事があるのですが、今回の写真はいやに老けた自分がいて、ちょっぴりがっかりです。
私は、周りからはこんな風に映っているのですね、この姿が現実かと想うといくら気が若くても歳には適わないのか・・・と一瞬想うのですが、還暦を過ぎた私の内なる魅力をたったひとりでも解ってくれる人がいれば、ま・いいか・・・

NO.222 秋の鬼怒川・塩原。

穏やかな秋晴れに誘われて、鬼怒川・塩原に紅葉を見物と洒落込みました。
お馴染み日光でなく塩原方面にしたのは、やはりこの時期の混雑を避けたかったのと、日光付近が我が家からのアクセスが一番良いからです。
「日塩もみじライン」は、「いろは坂」と遜色がない紅葉見物ができる上に混まないのが何よりです。
途中に寄った「大沼公園」は、人影もまばらな超穴場な場所でした。
木道も整備され、紅葉に染まった公園内を、の~んびり散策するのには、最高の場所でした。
来春には、今回知った「塩原自然研究路」を使い「富士山(ふじやま)」にハイキングに行くつもりです。
帰路の途中、道路際の地元の農家が作った野菜を売っているお店に立ち寄り、土付きの3本500円の大根とキノコ類を買いましたが、その大根の甘いこと、新鮮な野菜は生で食べても実に美味しいものです、普段スーパーで買うそれとは全く別ものです。
都会暮らしの私には旅先で食べる新鮮な野菜やたまごは、最高のご馳走です。流通段階で鮮度が相当落ちると言う事なのでしょうか。
都会育ちの身なので、田舎暮らしはチヨット・・・ですが、この新鮮な食材にはかなり惹かれます。
リタイヤしたら自然に囲まれた環境の中、新鮮な食材をふんだんに使った美味しい料理を日々食し、日が昇ると目覚め、日が沈むと眠る人間らしい生活をして晩年ハッピーに生きる。私の理想の一面はこんななのですが、まだまだ遣り残した事が公私共に多々あるので当面無理のようです。でも何時の日にか・・・かな。