BLOG BACK NUMBER 2013.02


PRESIDENT's DIARY -社長日記

NO.232 “横浜 ブラス・ジャンボリー”

花粉の季節です。花粉症の私は、このところ花粉が舞う日々の為か目が痒かったり鼻がむずむずの日々が続いています。
今年は花粉の量が多いそうですが、その割には、まだ大した事はないようです。
先週末、横浜港大さん橋の国際旅客ターミナル「大さん橋ホール」で開催された“みんなで楽しむ大合奏 ブラス・ジャンボリー 2013”に行って来ました。
当日楽譜が渡され、一度のリハーサルだけの、ほぼぶっつけ本番の大合奏会で総勢なんと600名のプレイヤーによる一大イベントでした。
私の奥さんがアルトサックスで長女がフルートでの参加でした。
中心は、ブラスサウンドですが打楽器も加わり今まで経験した事のない大音量・大迫力でした。
合奏指導・指揮の曽我 大介氏とゲストの俳優 斉藤 暁さんのトークも面白く楽しい大合奏会でした。
特に「ラデツキー行進曲」は圧巻で、終了後も余韻が残り口ずさんでおりました。
お疲れさんの夕食は、中華街の「HEICHINROU」で中華料理を美味しく頂きました。
一度泊まって見たかったので、宿は、「ホテル ニューグランド」にしました。宿泊は、新館の高層階で見晴らしは良かったです。
本館の階段付近では数組が、結婚式の記念写真を撮っていました。
先日行った箱根「富士屋ホテル」などのクラッシックなホテルは、重厚な雰囲気がなんとも堪りませんね~。
翌朝は、港の見える丘公園や元町付近を散策してお昼にホテルでアフタヌーンティーを頂いて帰宅しました。
東京から近くて異国情緒にもチョビット浸れ、本場の中華料理も食べられ、その上軽く買い物も出来る「横浜」には、これからもチョクチョク出かけそうな気がして来ました。

NO.231 リクルートと江副氏と私。

2月に入り寒さが一段と厳しくなりました。
雪が降った日には雪に弱い東京では、交通が大幅に乱れ通勤時には混乱をきたしています。
雪の日、皆様は無事会社や自宅に着かれましたか。
私は幸い何の支障もなく過せました。
先週、リクルート社の創業者であった江副浩正氏の訃報が伝えられました。
私が学生の時には江副さんは、風雲児と呼ばれた起業家であり、リクルート社は、今で言うベンチャー企業の雄でした。
私は、就職時に試しにとクラスメート十人ほどで、リクルート社を受けた事が有りました。
当時は、話題の会社だったので就職希望者で溢れかえり、新橋にあった本社の就職試験会場は、午前と午後の部で数日の筆記テストを行っていました。この中で何人が入社出来るのかと目を疑いました。
最終的に人事面接までたどり着いたのは私ともう1人の二名のみでした。
数日後に人事面接を受け、面接終了時に2~3名だけが声をかけられ、別室に通され、驚く事にそのまま役員面接となりました。
実はその日別の会社の筆記試験日であり、その事は人事の方に伝えてあったのですが、有無を言わせぬ雰囲気でそのまま1人づつ名前を呼ばれエレベーターで最上階の役員フロアに通されました。
エレベーターのドアが開くと薄明かりに役員と思しき5~6名が腰掛けており中央に社長の江副さんが座っていました。
役員から2~3質問され最後に江副さんから、自分が経験した人とのかかわりについて質問されたのですが、結局江副さんとは意見が合わず、最後に一言“そんな人は、僕は信じられない”で面接は終了いたしました。
結局私は落とされ、友人のみが採用されました。
昭和63年にリクルート事件が発覚し、江副さんは贈賄容疑で逮捕されました。翌年昭和から平成に変わり、バブルがはじけて〈失われた20年〉に入って行きました。
事件が公になった後、リクルートにまだ在籍していた友人から、“江副さんは、本当はオマエみたいに自分の意見を平気で言う奴が好きだったんだよ、入社していたら気に入られて未公開株の運び屋になって事件に巻き込まれたかも知れなかったよ、良かったな。”と言われたのを今でも良く覚えています。
人生とは本当に解からないものです。リクルートに入社したり、他の業界に行ったりしたら、きっとアルティマを創業したりせず、かなり違った人生を歩んだかもしれません。
結果として私は、江副さんのおかげで良い選択をしたのかも知れません。
人生って解からないものですね。