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President's Diary 社長日記
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本日28日で今年の仕事も終了します。
世の中色々なことがあった一年でしたが、皆様にとってはどんな一年でしたでしょうか。
私の一年はおかげさまで健康にも恵まれ大病もせず過ごせました。
3月には念願のペテルスブルクの「エルミタージュ美術館」にも行けたし、8月にはオーストラリアの「ウルル(エアーズ・ロック)」にも登れましたし、我が家ではおなじみの箱根や上高地・日光などにも旅行が出来ました。
これらの旅も皆家族旅行なのでより思い出になりました。
又新たな趣味のグループにも参加でき楽しいお仲間も増えました。
絵画好きの私としては、国内で開催された多くの美術展にも足を運び楽しませてもらいました。
この一年健康で家族旅行もでき新しい友達も増え本当に感謝の一年でした。
仕事では一年通して波はありましたが、何とか取引先の皆様方や協力業者さん達に大きな迷惑を掛けずに年を越せそうです。
来年は、新製品をラインナップする予定ですので内心少し“ワクワク”しております。
来年も健康一番で公私ともに充実した一年になるように自然体で自分の身の丈に合ったシニアライフを送りたいと思います。
来年も皆様にとって実りある年になりますように、願っております。
毎朝通る浅草仲見世通りは、もうすっかり正月の装いです。
丁度今浅草観音様境内では、羽子板市が開催されています。
昔に比べると随分規模も縮小され盛んだった頃を知る者としては寂しい想いもいたしますが、これも時代の流れとしてしかたない事かもしれませんね。
それに屋台も少なめな気がします。
話は変わって、現在「上野の森美術館」で来年2月3日まで開催されている、「フェルメール展」に行ってきました。
オランダ絵画時代の巨匠、ヨハネス・フェルメールは国内外で不動の人気を誇り、現存する作品はわずか35点とも言われており今回はそのうち9点までが展示される日本美術史上最大のフェルメール展だそうです。
美術展では適用の少ない「日時指定入場制」で待たずに入場でき、女優の「石原さとみ」さんの音声ガイド付きでしたが、その分他の展示会に比べ入場料は少々高めでした。
圧巻は、やはり欧米の主要美術館から特別に貸し出され日本初公開作を含む9点が一堂に会した「フェルメール・ルーム」でした。
この入場制のおかげで混雑はあまり気にならず、比較的ゆっくりと作品を鑑賞出来ました。
これは、2008年に「東京都美術館」で開かれた当時史上最多の7点の作品を集めた「フェルメール展」は、東京で最大の93万人の来場者を記録した時の混雑を教訓として今回採用された「日時指定入場制」がうまく機能した事のようでした。
私は今までにフェルメールの作品は、オランダの「マウリッツハイス美術館」や「ルーブル美術館」・「ウイーン美術史美術館」・「アムステルダム国立美術館」・「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」・「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」・「メトロポリタン美術館」それに「フリック・コレクション」で個別に鑑賞してきましたが、それらを一堂に会した展示会は初めてで楽しめました。
フェルメールは、1675年に43歳で亡くなると次第に忘れ去られましたが、19世紀になり再発見され、あらためて評価を受けるようになったようです。
現存する35点の作品の多くが人々の日常を題材とする風俗画を主に描き、その作品の素晴らしさと希少性の高さも相まって、世界的にも屈指の画家として人気を集めています。
次回この規模の「フェルメール展」が開催されるまで健康でいられるようにしなければ・・・。
毎回の印象ですが、早朝の浅草寺の本堂は、僧侶さん達のお経が響きわたり朝の清々しい空気に包まれて身が引き締まる想いでお参りが出来ます。
今月は、初めて「イーストウエストダイアローグ」と言うイベントに参加してきました。
毎年、西洋とアジアの芸術文化のリーダーを招いて開催されるレクチャーシリーズだそうです。
今回は、建築家の「槇文彦先生」とボストン・ジャパン・ソサエティ名誉会長で作家、映像プロデューサーの「ピーター・グリーリ」さんとのトークイベントでした。
私がなぜこのイベントに参加したかと言うと、当時勤めていた家具会社でたまたま「槇総合計画事務所」を営業担当したご縁から、現在のピクチャーレールの発売の切っ掛けは、槇事務所が当時設計中だった「京都国立近代美術館」に試験設置して頂いたことからであり、是非33年後の先生のお話を拝聴したいとの思いからでした。
約2時間、先生の内外の建築作品のスライドとトークでしたが、イベントホール約150名の内、外国の方が三分の一でイベントはすべて最初から最後まで英語でした。
通訳からのイヤホン着用者は四分の一ぐらいでほとんどの方たちは、イヤホンなしでした。(ちなみに私はイヤホン着用者でした)
まさにインターナショナルなイベントでした。
御年90歳の先生はハーバード大学院出で東大とハーバード両校で教鞭をとった方ですので、こなれた英語でトークをされていました。
会場の「国際文化会館」に行くのも初めてで、このイベント自体が異文化間の対話、交流、理解の促進を目指す事の為か大変内容のレベルが高く私の勉強レベルの低さに少しへこみました。
それでも参加したことで大変貴重な経験をさせて頂きました。
それに引き替え「国立科学博物館」で開催中の明治150年記念の日本を変えた「千の技術博」は、“明治から平成まで、日本を変えた科学・技術が一堂に! 重要文化財や産業遺産をはじめとする現代の生活のルーツが上野に大集合”と題して子供から大人まで楽しめる展示内容でした。
当時の人達の「夢をかなえた技術たち」に接することが出来て楽しい時間を過ごせました。
展示製品を見て、これから我々のどのような夢をどのような技術でかなえてくれるのか楽しみなようで少し怖い思いに駆られました。
根っからのアナログ人間の私ですから・・・。
早いもので暦の上では、7日に立冬となりました。
毎朝の通勤時で通る「浅草寺」の境内もすっかり秋も深まり、そろそろ冬かなと思えるようになりました。
我が家では最近とみに夕食は「お鍋」が増えてきました。
鍋はどんな鍋料理でも体の内側から暖かくしてくれて元気になれます。
そういえば、食事について以前より気になっていたことが一つあるのです。
外出先で特に昼食時に良く見る光景ですが、男女を問わず多くの人が食事中に“スマフォ”などを見ながら料理を口に運んでいます。
私は、その光景がどうしても気になって仕方がないのですが、皆様は如何でしょうか。
良く見ていると一人での昼食時に特に顕著なような気がします。
相手がいれば会話をしての食事ですから、よほどのことがない限り“スマフォ”を見ながらはないと思いますが。
折角料理人が気合を入れて?作った料理を“スマフォ”片手では、いかにも味は二の次での食事ですよね・・・
私などは、齢を重ねてくると毎日の昼食でも気に入ったお店でお気に入りの料理を頂くのが楽しみになってきます。
私の地元の浅草は、美味しい食事処が多くあり友人が浅草に来る際にはどこが美味しいか教えてほしいとの連絡が良く入ります。
和食か洋食か何が食べたいかを聞いて自分が良く行くお店を紹介しています。
特に地元の人が良く行く「浅草観音裏」界隈のお店がお勧めです。
私が子供のころから食べに行っているお店などは昔からの味が変わらずに代々続いているので安心して薦められます。
その観音裏も最近では若い人が、今風のお店を開く例がちらほら増えてきました。
観音裏界隈も時代の流れで新旧のお店での食事の選択が増え地元民としては歓迎ですが、新規のお店も願わくば開店から最初の3年は頑張ってもらいたいと思います。
宜しく!
私が、一年中で一番好きな季節となりました。
苦手な夏が終わり落ちた体重も元に戻り、外出するときに感じる肌をつく空気感も私に一番フィットします。
今月の展覧会は、かつて有名であったにも関わらず、忘れ去られてしまった絵師の「横山崋山」展に行ってきました。
私もマスコミで紹介されるまでは、「横山崋山」の事はほとんど記憶になくこの回顧展での作品達で、その素晴らしさを知りました。
特に代表作の上下あわせて約30メートルの「祇園祭礼図巻」は、祭礼の様子を細かく描写した構図は崋山ならでの作品でした。
ボストン美術館や大英博物館など海外に渡った作品も里帰りしていて崋山の魅力を存分に堪能できた回顧展でした。
11月11日まで「東京ステーションギャラリー」で開催中です。
パートナーが忙しくて、ようやく少し遅れて我が家慣例の「日光小田代ヶ原」へトレッキングに行ってきました。
“戦場ヶ原~小田代ヶ原”まで我が家おなじみの約7キロを3時間弱での散策です。
途中整備された木道をすがすがしい空気に囲まれて、てくてく歩くのも季節感を目一杯感じるのもまさに秋感です。
紅葉はすでに“竜頭の滝”あたりまで下りおりその代わりに小田代ヶ原周辺は、草紅葉と白樺のコントラストがとてもいい感じでした。
昼食は少し時間をずらしていつもの「中禅寺湖金谷ホテル」でなく「日光金谷ホテル」で百年カレーとデザートのアップルパイです。
今回は時間の関係で日帰り温泉は断念いたしました。
我が家から渋滞がなければ約2時間半で行ける日光は、四季折々訪れますが、この時期の紅葉と冬のXCスキーとその後の温泉と金谷ホテルの食事がお気に入りのコースです。
しかし「東武鉄道」が“金谷ホテル”を傘下に入れたり中禅寺湖周辺のホテルを“星野リゾート”が経営したり又現在建設中の“リッツカールトンホテル”が出来たりして観光客が増えすぎて、お気に入りの日光が日光らしくなくなったら寂しくなります。
そうならないことを切に願っております。
日頃の行いのせいか好天に恵まれた、充実の一日でした。感謝!
家から浅草寺の境内経由で浅草駅から押上駅までの約3キロの通勤散歩では、街の様子が少しずつですが秋を感じるようになってきました。
最近日々の暮らし方に少し変化を付けてみたくなったので、思い切って興味があることをより深く追及してみようと思い、オープンカレッジにチャレンジしてみることにしました。
興味があることの方が入りやすいと思い趣味の中から選ぶことにしました。
私の趣味として“モダンジャズレコード鑑賞・美術鑑賞の為の美術館巡り・トレッキング・旅・シングルモルトウイスキー・インテリア・家具・建築・オーディオ”などがありますが、まずは学生時代から続いているJAZZ関連のオープンカレッジ講座を探しました。
偶然“ドンピシャ”の講座を発見!
ジャズ評論家「寺島靖国」さんのジャズ入門の講座があったのです。
私のジャズの先生は、「油井正一」さんと「寺島靖国」さんのお二人です。
すでに油井正一さんは1998年にお亡くなりになっています。
学生時代に何となく雰囲気で50年代のフォービートのジャズが気に入り、FM放送で深夜の「油井正一」さんの“アスペクト・イン・ジャズ”を聴きながらお気に入りの演奏をオープンテープに録音して日々聴いていました。
当時はレコードが高価でなかなかレコードが買えずにいたのでアンテナを立ててもっぱらFM放送からジャズを録音していました。
今でも当時録音した膨大な数のオープンテープが我が家にはあるのですが聴く機会がないので、いつかは処分せねばなりませんね。
お気に入りの演奏者が見つかると、もっぱら寺島さんのジャズ関連の本を買っては、お勉強しました。
その寺島さんの講座があったのです。
定員制の為、早速申し込みいたしました。
隔週一回全5回の入門講座です。
御年80歳の寺島さんは、ジャズとオーディオに詳しく吉祥寺でジャズ喫茶「Meg」のオーナー兼マスターとしても知られています。
初講座は、どのような方々が受講するのかわからず多少緊張して教室に入りましたが、みなさん大体私の年齢に近く男女の比率は7対3ぐらいでした。
中には現役の女子大生もおり一人アイドル的存在でした。
約2時間の講義はテーマに沿ってジャズメンオリジナルとスタンダードの競演をCDをかけて寺島さんが受講者に話しかけるという内容でした。
受講者個々の感想もまちまちで曲の感じ方も色々あって面白かったです。
講義終了後希望者にて近くの居酒屋での雑談会に参加しました。
すでに10年続いている講座とあって、ほとんどの方が常連さん達で寺島さんを囲んで皆さん湧きあい合いの飲み会です。
初参加の私は、幹事役の方の気使いで寺島さんの真向いの席を用意してくださいました。
この日の為に持参した、寺島さんの1987年の処女作「辛口!JAZZノート」に記念のサインをもらい、お顔を見ながら色々話が聞けて大変楽しい時間を過ごさせてもらいました。
私の名前が初めてだとのことで皆さん入れ替わり生まれはどこかの質問攻めでした。
新たな出会いが出来そうなので次回も楽しみです。
思い切っての初オープンカレッジでしたが新しい世界が開けるかもしれません。
九月に入り大型台風が日本列島を縦断し多くの被害を残しました。
特に西日本の被害にあった方々にお悔やみ申し上げます。
学生のころより“建築やインテリア・家具”に興味があり建築や家具の展示会には良く行きます。
最初の就職先も輸入家具会社でした。
家具の製造から営業まで短期間でずいぶん大勢の方々にお世話になり“モノづくり”の楽しさを青春時代に味わせていただき、それが私の“モノづくり”の原点です。
そして今日の私が居ります。
家具を通してその器の建築にもより興味を覚えました。
終了まじかの建築展を二か所、やっと拝見しに行ってきました。
今月17日まで六本木の「森美術館」で開催されている、“建築の日本展”は、森美術館15周年記念展として“その遺伝子のもたらすもの”の副題の通り、古代から豊かな伝統を礎とした日本の現代建築が他に類を見ない独創的な発想と表現を内包することにより今日の日本の建築が世界から注目されているとしています。
展示会では9の特質で編成され、古代から現代までその底流に脈々と潜む遺伝子を考察され貴重な建築資料や模型など400点を超える多彩な展示内容で、大変見応えがありました。
私が実際に観に行った北海道“星野リゾート トマム”の安藤忠雄作「水の教会」と比較展示された「厳島神社」の展示や1796年作の世界的にも珍しい複雑な二重螺旋構造でできた仏堂建築、福島「会津さざえ堂」の模型なども展示されていました。
実物には中に入り螺旋階段を経験し大変不思議な構造の建物でした。
中でも日本が世界に誇る建築家「丹下健三」が1953年に成城に竣工した木造の自邸の三分の一スケールの模型は迫力があり、小田原の宮大工が再現し当時の暮らしの様子が想像できる立派な模型展示でした。
また近代の名作家具(剣持勇・長大作)に実際に座れる丹下健三研究室1955~1958作の「香川県庁舎」のラウンジ空間も再現されていました。
それ等に加え安土桃山時代の茶室 伝「千利休の待庵」も原寸再現され、わずか二畳の「わび」空間を自由に体感できるものでした。
興味がありすぎる展示内容で、すっかりくたびれ果てました。
又9日まで国立近現代建築資料館で平成30年度収蔵品展として「建築からまちへ1945-1970 戦後の都市へのまなざし」展にも駆けつけてきました。
資料館が収蔵している「坂倉準三・吉阪隆正+U研究室・大高正人」など有名建築家の建築資料群から「まち」や「都市」に関する資料の展示内容でした。
特に坂倉準三建築事務所の1964年頃の「新宿西口広場および地下駐車場」の透視図や設計図には、のちに独立し「アーキブレーン事務所」を主宰された方々のサインが図面上にかすかに見て取れ懐かしく思いました。
アーキブレーン事務所や大高正人事務所は、私が家具会社の営業先として短時間担当をしていたことも有り、40年前の自分を少しだけ顧みる懐かしい時間となりました。
その頃が懐かしいと思うようになったのは、やはり齢を取ってきたせいですかね。
お盆も終わり暑いさなかの連休皆様はどのように過ごされましたか。
私は少し長く休みを取って、オーストラリアに行ってきました。
オーストラリアには、15年ほど前に家族旅行で行ってきましたが、「ケアンズ」や「キュランダ」「グレートバリアリーフ」でしたが、今回の旅の目的は、ずばり「ウルル」に登頂する事です。
「ウルル」は、“エアーズロック”とも呼ばれ、2019年10月26日以降は登頂が禁止されることが決定しています。
登頂は原住民の“アボリジニ”にとって聖地の為に推奨はされていません。
又安全の為天候などの事情で閉鎖される場合があり、開山率はおよそ30%と言われています。
それでも出きる事ならば、何とか山頂の途中まででも登頂したいと思っていました。
まず「シドニー」に入り3泊、市内をぶらぶら散策したり「ブルーマウンテンズ国立公園」で最大斜度52度のトロッコ列車を経験したり眼下に滝と樹海を眺めるスリル満点のゴンドラに乗り伝説の残る奇岩の「スリーシスターズ」眺めたりしました。
翌日は、「ハンターバレー」のワイナリーツアーで3か所のワイナリーへ、オーストラリアはニュージーランドと並び有名なワイナリーがたくさんあります。
シドニーから国内線で3時間、エアーズロックに着きここで4泊。
「ウルル」から約20キロ「カタジュタ」から約55キロの広大な宿泊施設の「エアーズロックリゾート」での宿泊です。
施設内は巡回のシャトルバスが走り、4つのホテルやレストラン・バーやショッピングセンターもあり「ウルル」や「カタジュタ」へ行く拠点です。
現地ではガイドさんから「ウルル」について、登頂は推奨しませんし天候により登頂できない事が多いですとの説明がありました。
予備日を見て「ウルル」登頂に2日見ていたのですが天気予報では2日とも芳しくありません。
バスで周辺のベース・ウオークの間「ウルル」を3往復した際の最終目に登山口が開いていました。
しかし夕刻の時間まで1時間しかありません、登頂希望者は、往復1時間でバスの時間までに戻らねばなりません。
とても山頂までは行けません。
意を決してこの旅最大の目的「ウルル」登頂へ。
しかし“きつい”、頑張りましたが傾斜角度は最大45度と言われており、途中から鎖を頼りに登りましたが息が続かず20分ぐらいで休憩に入りました。
「ウルル」から見渡す景観ははるか遠方の地平線まで限りなく見えました。
戻りの時間もあり約三分の一あたりで私の「ウルル」登頂は終了いたしました。
少しでも登れて良かった!
「ウルル」の朝焼けの姿や夕刻の真っ赤な姿を目に焼き付けたプライスレスの良い想い出が出来ました。
又夜間の今までに経験したことがない今にも降ってきそうな南半球の星空は、言葉で言い尽くせない素晴らしいものでした。
最終日は、バスで約3時間およそ305キロ先の「キングスキャニオン」へ、中央オーストラリア有数の大峡谷です。
峡谷内の「リムウォーク」のトレッキングに3時間はかかりましたが、スケールの大きさを実感でき自然が造り出す神秘な光景にも出会えました。
最大の旅の目的を終え最終都市「メルボルン」へ、ここで3泊です。
同行の女性陣は、ワイン好きの為「ヤラバレー」ワインツアーです。
4か所のワイナリーのテイスティングでお酒に弱い私はふらふら!
最終の訪問地は、バスにて「グレートオーシャンロード」へ。
オーストラリア大陸が海へ落ち込む奇景が見られる場所です。
有名な「12人の使徒」を始めとした奇岩の景観が望めました。
家族での旅は国内海外を問わず、“想い出の塊”作りです。
これからも体力が続く限りあちらこちら行きたいと思っております。
台風による西日本に災害があったこの夏、各地で連日猛暑が続いてます。
東京も連日36度以上の猛暑で私も夜間はクーラーをつけっぱなしにして夜中に枕元のペットボトルで水分補給してなんとか睡眠時間を確保していますが、それでも少し寝不足気味です。
この暑いさなかですが、以前より計画していた「直島」をメインに“アートの旅に”行って来ました。
東京から岡山空港経由でまず倉敷へ、
久しぶりの倉敷では三度目の“倉敷アイビースクエア”に宿泊して「大原美術館」と美観地区の倉敷川沿いのエリアを散策し、懐かしの“カフェ・エル・グレコ”のレモンスカッシュで一息、夜間は幻想的な「天領のあかり」を楽しみ「高田屋」では美味しい“焼き鳥”を満喫しました。
倉敷から宇野港~宮之浦港経由で期待の初「直島」に入りました。
直島では、「自然と・建築・アートの共生」をコンセプトに安藤忠雄設計で1992年に開館した「ベネッセハウスミュージアム」に行き、瀬戸内の自然の中でアートと思い切り触れ合ってきました。
直島内の本村エリアでは「家プロジェクト」として点在する古い家屋(はいしゃ・碁会所・角屋・南寺・石橋)などを改修し、人が昔住んでいたころの時間と記憶を織り込みながら、空間そのものを作品化していました。
特に外国からの旅行者の多さには驚きました。
特に「石橋」では“千住博”さんの“空の庭”が公開されていました。
宮浦港では、人気の「草間彌生作“赤かぼちゃ”」で記念写真を撮り、一路小豆島の土庄港へ。「小豆島」では、オリーブ園内にある“イサム・ノグチ”の遊具彫刻を見てきました。
最後に、土庄港から高松港へ渡り世界の名画を陶板画で再現した「大塚国際美術館」へ行きました。
今まで訪問したことのある、世界中の美術館に収蔵されている“おなじみの名画”たちが一堂に会し、しかも忠実に陶板で再現され美術好きにはたまらない美術館でした。
しかも直に手で触れることやツーショット写真が撮れるなど、現地の美術館ではなかなか味わえない事が、この美術館では普通にでき楽しい時間でした。
しかしやはり本物との“何か”が違い又本場で本物に会いに行きたい衝動に駆られました。
短時間に色々な美術とふれあい大変楽しい「アートの旅」でした。
ここ数日まさに真夏の天気が続いています。
西日本を襲った豪雨災害では「災害弱者」とされる60歳以上の方々の豪雨犠牲者が7割を超えたそうです。
特に土砂崩れや川の氾濫に巻き込まれたり水路に転落したりして亡くなった人が大半だったようです。ご冥福をお祈りいたします。
行方不明の方々を猛暑の中、捜索続ける自衛隊の方々や消防隊員の方々には本当にご苦労様と伝えたいですね。
所変わり私の地元浅草界隈では、慣例の夏の風物詩「入谷鬼子母神」の「朝顔市」が6~8日、「浅草寺」境内の「四万六千日・ほおずき市」が9~10日執り行われました。
“朝顔市”には、早朝6時ごろ朝顔が咲いているころを狙い鬼子母神に“お札”(今年は造花の朝顔が赤色のお札)を頂き、珍しく朝顔を買ってきました。
鬼子母神さんには年に一度朝顔市にしかお参りに行かないので念入りに手を合わせてきました。
又“ほおずき市”は浅草寺境内で行われ7月10日に参拝すると、4万6千日お参りしたのと同じご利益があるとされ、古くからこの日に参拝する為に、全国から多数の観光客が訪れています。
境内にはほおずきを売る店がおおよそ百件並び、風鈴の涼しげな音色や浴衣姿の観光客達で下町の市らしい華やぎを見せていました。
毎年“お札”を頂くのですが、私の場合毎朝お参りをしているうえのお札ですので四万六千日分のご利益が貯まりに貯まり、現在も健康で好きな事をさせて頂いているのでしょうね。
これからも家族の健康を願い可能であれば少しでも社会のお役にたてる事をさせて頂きたいと念じております。
梅雨時の合間に昨年同様「上高地」へ散策に行ってきました。
上高地へは一昨年念願かなって“上高地帝国ホテル”宿泊が初訪問でした。
嫁さんと娘が上高地の散策と宿泊ホテルをすっかり気に入ったので昨年は6月と11月の二度にわたっての訪問でした。
上高地に行くには、東京駅のバスターミナルから22時40分発の“さわやか信州号”の高速乗り合いバスで行きます。
このバスは3列シートでフルリクライニング付の為比較的楽に過ごせます。
上高地は、マイカー規制の為明け方の5時の釜トンネル・中の湯ゲートの開門を待って許可された車両のみ乗り入できます。
上高地が気に入った一つにスイスの“グリンデルヴァルト”に景観が似ていることも有ります。
以前訪問したスイスでは、天候に恵まれず思うようにトレッキングが出来ずに大変残念な思いもしましたが、上高地は山々に囲まれ川沿いに散策コースがあるなどまさにスイスのこの地にそっくりです。
後で知りましたが、上高地とグリンデルヴァトは姉妹都市だそうです。
そのような思いもあるので、わざわざ物価高のスイスまで行かなくても上高地で十分です。
穂高連峰もアルプスに負けていませんよ?
これもスイスに行ったからの感想ですので何事も経験することは大事には違いがありませんね。
上高地は、神降地とも呼ばれまさに自然の宝庫です。
観光客に人気なのが、河童橋や大正池です。
散策路が整備され気楽に大自然を満喫できるので外国の方々も最近は大勢見かけます。
毎回我が家は、バスが明け方ホテル前に到着する5時20分頃からまだ人がまばらな河童橋から梓川右岸道をぶらぶら歩き明神池に行き一休みしてから明神橋を渡り徳沢まで行き井上靖の小説「氷壁」の舞台になった「徳澤園」でソフトクリームを食べたり軽く持参のおにぎりなどをほおばってから梓川左岸道を通り上高地ビジネスセンター経由で昼飯に間に合うようにホテルに帰る往復14キロがおなじみのコースです。
東京の帝国ホテルから4月下旬のオープンから11月初旬のクローズまで上高地に来ているホテルの方々とも顔見知りになっているので食事もアレルギーのあるものは避けてもらっています。
次回は9月下旬に宿泊を予定しているので、お土産のウイスキー持参でとなります。人との出会いも旅の楽しみの一つですね。
梅雨なので仕方ないのでしょうが、陽気が今一パッとしないので気分は沈みがちな私の今日この頃ですが皆様の気分は如何ですか。
私は2か月に一度体のチエックをしていますが、アレルギー数値が高いようで気圧が低くなるこの時期は気分が盛り上がりません。
そんな中現在開催されている「白井晟一の原爆堂」展“~新たな対話にむけて”に行ってきました。
建築家の「白井晟一」は、勿論建築家として多くの受賞歴を残されてはいますが、装丁家・書家としても多くの実積を残されエッセイ集もあります。
私は、亡くなった恩人の方から白井先生(1905~1983)のお話はよく聞いていたので生前の建築作品を調べたり見学にも行きました。
特に卒業後最初に務めた会社が先生の作品の「ノアビル」にあったのでその独自な意匠に独特な何かを感じ大変興味を覚えていました。
他に「浅草善照寺」「親和銀行」「松濤美術館」そしてこの「原爆堂計画」などの設計もされていました。
「原爆堂」は、第五福竜丸が核実験の犠牲となった1954年、一人の建築家が広島・長崎の惨禍に向き合い計画したものでこの時期各分野から「核」をテーマにした作品が多く生まれましたが、建築分野からはこの「原爆堂」が唯一だそうです。
現在「核」を巡っては、北朝鮮等世界的関心事ですが、我が国においても被ばくの被害を受けた国であるばかりでなく、3.11以降「核」の加害者という立場にもならざるを得なくなり、改めてこの展示会が意味するものが何なのか考える良い機会になりました。
関心のある方は、今月30日まで南青山の「Gallery 5610」で開催されており会期中無休・入場無料です。
本展覧会の為に新たに制作されたCGは、実現しなかった原爆堂の細部を知る事が出来大変感銘を受けました。
ここ数日の天気は、暑かったり涼しかったりで体調管理が難しいですね、みなさまもお気をつけください。
20日の日曜日はお天気もちょうどよく浅草で一番賑やかな「三社祭」でした。
例年我が家でも一年で一番の大イベントです。
今年は、我が家の女性陣が忙しく特段お知らせをしたわけではなかったのですが口コミ?で40~50人の方々が来られて祭りを楽しんで頂きました。
半纏がとても足りず神輿を担ぐ際に交代で我慢してもらいました。
特段けが人もなく無事に午後10時過ぎに終了いたしました。
また来年皆さんで楽しみましょう!
現在「東京国立近代美術館」で開催されている、「横山大観 生誕150年」展を観に行ってきました。
オール大観。代表作を網羅した10年ぶりの生誕記念大回顧展です。
100年ぶりに“発見”された「白衣観音」図や水墨画の集大成で全長40メートル超の日本一長い絵巻で重要文化財に指定されている「生々流転」それに夢の共演として大観渾身の作「夜桜」と足立美術館所蔵の「紅葉」の同時展示が実現したことも話題になっています。
横山大観と言えば近代日本画壇のトップで1500点を超える富士山の絵を残したことでも有名です。
私は、正直大観の画はあまりお上手とは言えないと思っておりますが、約90点の厳選した作品が紹介され大観の新たな魅力を発見できるような展覧会になっておりました。
又初めて隣接している「工芸館」にも寄って「名工の明治」展も観てきました。
これは、工芸館開館40周年記念展で特に金工家の鈴木長吉の「十二の鷹」は、12羽それぞれのリアリティには目を見張るものがあり驚異的でした。
両展示会は、今月27日までですお見逃しなく!
ゴールデンウイークも無事?に終了しましたが皆様は如何に過ごされましたか?
GW前半は、旅行の計画があり好天に恵まれラッキーでした。
私は家族で箱根に行き、のんびり温泉に浸かったり、美味しい和食を食べたり、新鮮な空気をお腹一杯に吸い込んだりして良い休暇を過ごさせてもらいました。
箱根へはちょくちょく行くのですがたいていは、お気に入りの絵画を見に美術館めぐりをしたり我が家の定宿の「箱根富士屋ホテル」で食事をしたりで過ごします。
今回は、今年に入り我が家の女性陣が忙しく過ごしていた為、その癒しをかねての箱根三泊旅行でした。
私は運転手としてのお供でしたので最後まで後ろ三歩状態でした。
定宿「箱根富士屋ホテル」が改装中の為、初めて「龍宮殿」に宿泊いたしました。
龍宮殿本館は、有形文化財にも登録されており昭和13年(1938年)「浜名湖ホテル」として竣工した歴史的建築物です。
当初は、浜名湖畔に作られましたが、その後芦ノ湖畔に一年以上かけて移築され昭和32年に開業したそうです。
建設時ホテルは、宇治の平等院をモデルにし建物外観は純和風でありながら、客室はすべてベッドを備えた洋風で食事はフランス料理という先進的なスタイルだったそうです。
現在本館は、改装され温泉のみの営業で宿泊したのは新館でした。
客室は大きな一枚ガラスの窓から芦ノ湖と箱根外輪山そして霊峰富士山が一望でき大変趣がありました。
朝食も夕食も基本は和食で三泊とも食事内容が異なる気の使いようでどれも大変美味しく又サービスも良くすっかり龍宮殿フアンになりました。
朝晩の温泉も時間によっては貸切状態で、のんびりマイペースで楽しめました。
欠点を探すとすれば、布団と枕が私に合わず朝身体の節々が少し痛かったのと宿泊客の三分の二が外国人で特にアジアからのお客さんのマナーが少し頂けなかった事でしょうか。
初めて箱根園の“駒ケ岳ロープウエイ”に乗り山頂に行ったのですが、風が強くて危うく帽子が飛ばされそうになりました、又ロープウエイの車内で外国人の団体客達の大声の会話には少し・・・。
丁度隣接の「山のホテル」で“つつじ祭り”を開催していたので食事とともに楽しんだり、「九頭竜神社」でお願いごとをしたり「御殿場のアウトレット」に寄ったりして無事に帰途につきました。
女性陣からは、「龍宮殿」には紅葉の頃に又行こうとの声がありますので、次回は少し趣を変えて電車にしましょうかね。
今月は、前回のブログでも書いたのですが花粉?が引き金になったらしいアレルギーの為か思考能力が今まで以上に無く難しい話題は苦手な日々を過ごしております。
こんな時は、夕方からは比較的ゆっくり見学できる美術館で絵画の鑑賞などをしてリラックスするのが一番です。
自宅から徒歩圏内にある上野公園周辺の美術館の内「東京藝術大学美術館」で現在開催されている“東西美人画の名作展”を鑑賞しに行ってきました。
「上村松園の《序の舞》への系譜」と副題にある通り見どころは、昭和11年作、平成12年に国の重要文化財に指定されている近代美人画の最高傑作とも言うべきこの作品が今展示会のハイライトです。
「序の舞」とは能楽の中でも上品な気分を漂わす格の高い舞のひとつだそうで、松園自身も「この絵は、私の理想の女性の最高のものと言っていい、自分でも気に入っている女性の姿であります。」と語るほど、作者にとって渾身の作品です。
制作から80年近くが経過し、全体的に本紙と絵具との接着力が低下し、絵具層の粉状化が進行し作品の保存状態に問題が生じた為に近年は展示を控えざるを得ない状況が続いていたそうです。
私も東京藝術大学に収蔵されていることは、以前より知っておりましたが展示をされずにいたので一度現物を鑑賞できる機会待っておりました。
これ以上の劣化を防ぐための本格修理を外資系金融機関の文化財保護プロジェクトの協力を得、3年の修復を終えて装いも新たに公開されました。
修理後、作品保護の見地からこれまでの掛軸装から額装へ表装変更を行ったことも本展で初めて知りました。
本展は、江戸時代から昭和初期までの美人画の歴史をじっくりとたどり、東の清方、西の松園の作品を中心に東西の美人画の名作が一堂に会しております。
個人的に画風が好きな「鏑木清方」の作品も数点観られ閉館ぎりぎりまでゆっくり鑑賞出来ました。
美人画に関心がある方は、連休中に是非! 5月6日までですよ。
スギ花粉の季節は過ぎたはずですが、スギ花粉症の私は先月の旅行中全く異常がなかったのに帰国後かえってひどくなりました。
とうとう嫌いな病院で精密検査を受けたところ、異常にアレルギー値が高いとの検査結果が出て現在治療薬のお世話になっています。
そんな体調状態ですが、先月の旅行中にタイミングが合わず訪問できなかったモスクワの「プーシキン美術館」のフランス絵画コレクションがなんと東京都美術館に65点もの作品が来日しています。
モスクワで観れなかった作品がここ東京で観れるなんて・・・。
なかでも今回の目玉は、やはり初来日となるクロード・モネの「草上の昼食」でしょうか。
印象派の誕生前、26歳の若きモネの魅力あふれる作品で同時代の人物たちと自然の風景が見事に調和したモネ初期の代表作です。
まさにフォンテーヌブローの森でのピクニックの情景が憧れのマネの同名の絵画に触発され若きモネらしいみずみずしい色彩で表現されています。
一方、もう一つの目玉であるアンリ・ルソーの「馬を襲うジャガー」は、パリに居ながら豊かな想像力で熱帯のジャングルでの情景をルソーらしく描いた作品です。
この両作品の前は案の定多くの人たちで溢れていて残念ながら作品をまじかでじっくり鑑賞出来ませんでした。
やはりモスクワでゆっくり鑑賞したかったな~と心底思わずにはいられませんでした。
しかし考えようによっては、現在プーシキン美術館には65点もの作品が日本に貸し出されているわけでモスクワには無いと言うことです。良かったような・・・複雑です。
生意気なようですがやはりお気に入りの作品は、収蔵されている現地の美術館で思う存分マイペースで鑑賞するのがやはり一番ですね。
しかしモスクワは寒かったので次回は温かいところが良いかな~。
東京は桜が満開を迎え毎日家から会社までの通勤散歩では、観音様の境内から墨田公園の桜並木まで目を楽しませてもらっています。
またこの時期休日の散歩に上野公園内の国立博物館にある庭園が解放されゆっくり桜を鑑賞できるのでこれも楽しみです。
我が家では桜鑑賞の後の帰り道は、おなじみ「井泉」で特ロースかつを食べるのが毎度のお約束です。
日本で桜の開花ちょい前に以前から行きたかった、ロシアのサンクト・ぺテルブルクにある「エルミタージュ美術館」を訪問してきました。
世界三大美術館のひとつで輝かしいロマノフ王朝の栄華に包まれ、元は王朝の「冬の宮殿」と呼ばれた美術館です。
収蔵美術品数が約300万点と言われ全展示室を歩くと20km以上になる世界屈指の大美術館です。
本館のほか印象派を集めた新館と併せて約6時間ほどの見学でしたが今まで訪問した、メトロポリタン美術館やルーブル美術館とまた違った印象を受け良い思い出になりました。
鑑賞したい作品も身近でゆっくり・じっくり眺めてきました。
お気に入り絵画とのツーショット写真もばっちりです。
ロシア滞在中は、この季節では珍しい奇跡の快晴でしたが、ホテルからロシア・バロック様式の建築で世界遺産にもなっている「エカテリーナ夏の宮殿」に行く際の屋外は、東京では経験したことのないマイナス15度としびれるような寒さでした。
特にこの宮殿内では、壁一面が琥珀のパネルに覆われ琥珀芸術の最高峰と言われる「琥珀の間」の圧倒的な豪華さには言葉を失いました。
サンクト・ペテルブルクではネオ・ルネッサンス様式の外観で世界的に有名な「マリインスキー劇場」で本場のオペラを鑑賞しましたが、上映時間約4時間で途中旅の疲れか二度三度コックリいたしました。
でも最後にはブラボ~を観客一堂に混じり連呼いたしました。
帰りはモスクワに戻り世界遺産の「赤の広場」や「クレムリン」「国立百貨店」の意味を持つ「グム百貨店」などを散策いたしました。
丁度、大統領選挙期間とぶつかり普段よりセキュリティはかなり厳しいようでした。
(プーチン大統領がクレムリンからヘリコプターで出かけるところにも遭遇いたしました。)
この時期、やはりロシアも寒いので比較的観光客も少なくて、ゆっくりと美術館内の絵画を鑑賞出来、大変満足できる旅となりました。
今年は夏にもう一つの旅が控えていますので体調管理怠りなくです。
日本が史上最多13個のメダル(金4、銀5、銅4)を獲得した平昌五輪が終了しました。
連日日本選手のメダルラッシュの報道がなされ私も大いに楽しませていただきました。
でもメダルの数だけ、ドラマや感動する裏話があったと思います。
日本選手の活躍に隠れてしまい、本来ならもっと大きく取り上げても良い選手の筆頭は、スキーアルペンの女子スーパー大回転とスノーボードパラレル大回転の両方で金メダルを獲得したチエコのレデッカ選手は本当にすごいと思います。
信じられません。
私的に平昌五輪で一番印象に残った選手は、日本選手団の主将を務めた「小平奈緒」さんです。
帰国会見でも五輪前に目標として掲げた「日本選手団の百花繚乱」を口にしました。
立派な内容なのでその通り書かせていただきます。
「たくさんのメダルを獲得できましたが、重要なことは平昌五輪に出場した選手みんながそれぞれの舞台でそれぞれの思いを胸に、力強く最後まで戦い抜いたことを私は皆さんに見て頂きたかった。たくさんの競技でそれぞれの思いを胸に、きれいな花を咲かせてくださった」
と全選手の健闘をたたえ、
「この花たち、メダルを輝かせることが出来るような競技生活を今後もみんなで送っていけたらいいなと思います。また、これがこの後行われるパラリンピック、20年に行われる東京五輪の選手にバトンタッチできるよう、次のチャレンジに向かって頑張ってゆきたい」
と日本のアスリートを代表して抱負を述べました。
彼女は、ずっと短距離のエースとして日本のスピードスケートを牽引してきました。
卒業後後援者を得ての2010年のバンクーバー五輪ではパシュートで銀メダルは取っても得意とする500メートル、1000メートルの個人種目では、もう一歩のところでメダルに届きませんでした。
その為、ソチ五輪の後単身でオランダ留学をして、フォームや練習法を変えていったそうです。
覚悟の2年の留学をやってのけ、ワールドカップ500メートルでは15連勝、1000メートルでは、世界記録を打ち立て平昌に臨みました。まさに栄光の陰に努力ありですね。
プレッシャーのかかる中1000メートルで銀、500メートルでは五輪新で見事に金メダルを獲得しました。
これはスピードスケートで日本の女子選手史上初だそうです。
中でも500メートルの競技終了後にこの種目3連覇を狙う韓国のエース・李相花(イ・サンファ)選手と互いに健闘をたたえる抱擁シーンは今五輪で一番の感動を呼び、小平選手のスポーツマンシップは多方面から賞賛を集めました。
これには、韓国の国民にも感動的に受け止められたそうです。
その他パシュートとマススタートの高木姉妹の大活躍やジャンプの高梨選手も念願のメダルを取り、カーリング女子のLS北見の選手たちの活躍も大いに話題になりました。
彼女たちの笑顔が印象に残っています。
惜しくもメダルには届きませんでしたが、フィギアの宮原・坂本選手も大健闘でした。
どうしても男子選手よりは女子選手の活躍が印象に残る平昌五輪でした。
これから始まるパラリンピックも応援せねば・・・。
連日日本海側のエリアは、寒波に見舞われ大雪の為交通渋滞や日常生活に大きな支障をきたしています。
東京育ちの私はTV等で北国の冬の生活の大変さを何となく感じるだけですが、屋根に積もった雪を下す大変さもそれによる落下事故の多さも想像でしか理解できません。
冬場の雪の状況で毎年行くXCスキーも今年は、かみさんが忙しくてまだ実現していませんが、今開催中の冬季オリンピックの華やかな面の裏には雪国の大変さも存在することを忘れてはいけないのでしょう。
私のように遊びのXCスキーと競技としてのXCスキーは勿論全くの別もんですが、オリンピックに参加できる選手の凄さは計り知れません。
又4年に一度のオリンピック選手に選ばれるだけでもすごいことですしその努力は大変なものです。
選手達には選ばれたことや他国の選手たちとの交流を楽しんで結果の良し悪しに関係なく無事帰国してほしいものです。
そんな中連休に一念発起して家族総出で事務所の整頓を敢行致しました。
古いカタログや終了した物件の資料などの破棄です。
内容を確認しながらの分別に手間取り“どっと”疲れました。
無事に終了したら“ご苦労さん”で美味しいものを食べようとしたのですが、そんな時に限ってお店が一杯で入れなかったりして増々疲れが倍増いたしました。
頑張った整理でしたが2日で終了できず来週も続ける予定です。
中には10年以上も前の資料もあり、これでは確かに運気が下がると言われても仕方がないと観念し、整理整頓をこれからは日々心がけようと思った次第です。
皆さん方は日々身の回りの整理整頓を心がけていらっしゃるでしょうが、私の場合これほど物を捨てられずにため込むのは私の習性でしょうからすぐには解消できません。
根っからのアナログ人間ですのでなんでもすぐコピーしますので資料がどんどんたまります。
どうしたらよいでしょうね~良いことも有るのですが・・・。
年明けからすでに三週間ほどたちましたが、みなさまはいかにお過ごしですか。
遅ればせながら今年も宜しくお願いいたします。
昨日22日は首都圏に大雪が降り、雪に弱い東京の交通機関をあらためて感じた次第です。
帰宅時間と雪のピークが重なり交通機関は、大混乱となったようです。
帰宅するのにお疲れの方も多かったのではないでしょうか。
個人的なことですが年末に風邪をこじらせ、6年ぶりに古くからお世話になっている近所の医院に駆け込みました。
寝正月を決め込んでいたのですが、今年に限って来客が続き楽しい時間を過ごせているうちは風邪の菌もおとなしくしていたのですが、来客が途切れた途端に風邪の菌どもがいたずらを始めました。
風邪の諸症状に加え薬のせいか胃もやられ食欲も減退し身体の力もぬけて最低の状態です。
巷ではインフルエンザが流行しております。
幸い私は単なる風邪のようですが、皆様もくれぐれお気負つけください。
そのようなわけで年明けから体調に関しては、多難な船出となりましたが、気持ちを引き締めてより良い年にすべく前向きに前進です。