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今年は、10月に入っても暑い日が続き中々本来の秋らしい日が来ませんが、毎朝の観音様境内はすっかり秋の兆しを感じます。
早朝にも拘らず境内は、外国からの観光客が多く「雷門」で記念写真を撮るのに列をなしている事に驚かされます。
この季節我が家では慣例になっている「上高地」に行って来ました。
今回は、6月に観光に寄った際に時間がなく行けなかった場所があった「飛騨高山」に再度の訪問も加えました。
飛騨高山では、6月に本陣平野屋「花兆庵」に宿泊した際に宿の方から参拝を推められたのにもかかわらず、時間がなく行けなかった「日枝神社・冨士社社殿」にようやく参拝もでき、また6月の訪問の際にたまたまお休みだった高山市内のレストラン「ル・ミディ」でもやっと食事が出来ました。
この店の名物の飛騨牛のハンバーグステーキは、うわさ通りの美味しさでした。
店内を見渡すと私たち以外はすべて外国の旅人達ばかりでまるで自分達が海外にいるような錯覚を覚えました。
今宿泊で節目の10度目になる「上高地帝国ホテル」では顔見知りのホテルマンが「宿泊の支配人」や「レストランの支配人」になっていてよりコミュニケーションがしやすく多少のわがままも聞いてもらえました。
一日二組限定で提供されるホテルのシンボル、マントルピースの炎を眺めながらのチーズフォンデュは美味しさも気分も最高でした。
7月の台風で木道の一部が損傷し通行止めの個所があり今回は「大正池」から「明神池」までの軽いトレッキングとなりました。
昨年は、丁度この時期に念願の「涸沢カール」まで行けた事がよみがえり、今となっては良い想い出になっています。
思うに年々上高地は海外からの観光客が増えていますが、今年は特に欧米からの旅行客が目に付き昼過ぎには木道は、欧米のトレッカーが列をなしていました。
静かな上高地は、やはり早朝に限りますね。
上旬の「上高地」に続き今週は、これまた我が家お馴染みの「奥日光」にも行って来ました。今回は昨年初めて行って気に入った、「丸沼温泉」と「奥日光」の軽めのトレッキングです。
「丸沼」では、宿泊した湖畔の「環湖荘」の敷地内に在る丸沼自然遊歩道(牧水古道)を早朝散策しました。
丁度釣りの季節で早朝からのルアーフィッシングの釣り人の姿がとてもクールでした。
「環湖荘」は、釣りを趣味にした小説家の「開高健」の定宿としても名が知られている宿です。
「奥日光」では、いつもの「小田代ヶ原」と「戦場ヶ原」一周のコースでなく今回は、早朝から「赤沼」から「戦場ヶ原」を抜け「湯滝」から「湯ノ湖」を一周する14キロほどの軽めのトレッキングを楽しみました。
「奥日光」の草紅葉と澄んだ空気にとても癒されました。
帰り妻のリクエストで「霧降高原キスゲ平園地」の天空回廊の1445段の階段を再度チャレンジすることになりましたが、私は昨年妻と一緒に展望台まで往復達成していたので今回は妻のみのソロ登頂でした。
無事往復登頂した妻は、再度「登頂記念証」を頂いてきました。
妻の執念凄し!
昼食は、お馴染み「明治の館」で私は「サラダ・オニオングラタンスープとつぼ焼きビーフシチュー」で満足の締めくくりでした。
我が家からおよそ2時間半・往復約420キロのプチ旅行は、健康のありがたさをしみじみ感じる「時」です。
健康に感謝!
少しずつ早朝の空気も秋らしくなってきました。
毎朝参拝する浅草寺境内では、早朝にも拘らず海外からの観光客が境内や雷門で記念写真を撮る姿が大変多く見受けられます。
6月から開催されていた、パナソニック汐留美術館の「ポール・ケアホルム展」に終了ぎりぎりに何とか間に合って行くことが出来ました。
北欧モダンデザインの名匠の椅子を中心にした作品展です。
椅子の研究と収集で有名な「織田コレクション」からケアホルムの家具約50点と関連資料が展示されていて家具好きの私としては、大いに楽しませていただきました。
何度か作品展で訪れていた、現代美術を中心とした品川に在った「原美術館」が2021年1月に残念ながら閉館しましたが、その姉妹館の「原美術館ARC」に以前より行きたかったのですが、今回やっと行くことが出来ました。
館は、伊香保温泉にも近く今回は美術鑑賞と温泉とのプチ旅行です。
建物は、建築家の磯崎新氏による設計でピラミッド型の屋根のAと両翼に細長く伸びるギャラリーB・Cというシンメトリーを意識して配置された展示室で現代美術を楽しめました。
屋外展示は、アンディウオーホルなど内外の現代作家の常設作品が点在していました。
また併設されているレストラン「カフェダール」は、雄大な景色を眺めながら、ゆっくりと食事を楽しめました。
お恥ずかしながら伊香保に行くまで知らなかったのですが、近くに「竹下夢二伊香保記念館」が在り、大正ロマン漂う夢二の日本画を中心に詩や楽譜の装丁などが多く展示されていました。
夢二の最高傑作、「黒船屋」のレプリカも展示されていて驚きました。
また100年以上前に制作されたアンティークオルゴールの音色やアンティークピアノの演奏も楽しめました。
今回初めて行った伊香保温泉では、365段の石段を上った先に在る「伊香保神社」で参拝をした後にロープウエイに乗り「上ノ山公園」に行きました。
園内に在る展望台では、好天も幸いして遠く上高地や尾瀬などが一望できのんびりと楽しい時間を過ごせました。
帰りに日本三大うどんの一つに数えられている、水沢うどんの名店「五代目花山うどん」で食した、石段あい盛り二味(鬼ひも川・ひも川)の胡麻つゆが大変美味しかったのでお勧めです。
今後も体調管理怠りなく日々過ごし、行きたい所に行き、美味しいものを食べて過ごしたいと思っております。
日々感謝です。
8月、台風10号の影響で各地で豪雨被害が広がっており、地元浅草でも海外からの観光客を含め急な雷雨で戸惑う旅行者が右往左往する姿が多く見受けられました。
以前からの旅行計画も変更を余儀なくされるかと思いましたが、何とか中止することも無く実行出来ました。
一度は行きたいと思っていた、毎年9月の1~3日に開催される越中八尾の「おわら風の盆」と「黒部ダム」に念願かなってようやく行くことが出来ました。
「おわら風の盆」は、豊作を願い八尾の町11各町会で歌・三味線・胡弓・太鼓の音色をバックに町流しや輪踊りしながら町内を巡る伝統芸能です。
各町会では、それぞれの浴衣で男踊り女踊りに嗜好をこらして町内の道沿いにいる観光客を楽しませます。
特にNHKで放送された「鏡町」の男女混合踊りには観光客が公演前から並びましたが何とか鑑賞出来ました。
期待通りに男踊りと女踊りのきめポーズでは、観客から拍手が起こりました。とてもかっこよかったです。
翌日立山黒部アルペンルートを通って黒部ダムまでなんと6つの乗り物を乗り継ぎ直線距離約25キロ最高標高1975mを楽しんで来ました。
途中「称名滝」にも寄ってきました。
称名滝は、立山連峰を源流とする落差日本一の大瀑布(350m)で4段に折れながら流れ落ちる迫力満点の滝でした。
丁度雪解け水が多く流れ込む時期でしたので、隣に「ハンノキ滝」落差(500m)も同時に見ることが出来ラッキーでした。
6つの乗り物は、立山駅から美女平まで①ケーブルカー、室堂駅から②立山高原バス、大観峰駅まで立山トンネルを今年最後になる③トロリーバス、黒部平駅まで日本随一1702mの支柱の無い④ロープウエイ立山、黒部湖駅まで⑤ケーブルカー黒部、徒歩にて黒四ダムを渡り最後の黒部ダム駅から関西電力の⑥電気バスにて扇沢駅まで北アルプスの山岳地帯を縦貫します。
途中冬場高さ20mにも迫る雪の壁「雪の大谷」で有名な「室堂」では、「みくりが池」をぐるりと回る周回コースで立山連峰を堪能いたしました。
念願の「黒部ダム」は、何度もTV等で紹介されて詳細は知っておりましたが、やはり実物は大迫力で丁度観光放水も行われており絶景ポイントが数カ所ありましたがどのポイントまでも、階段続きで大変疲れました。
ダム完成まで7年の歳月と171名の工事関係者がお亡くなりになる大工事で、その記録フイルムも鑑賞でき多くの工事関係者の方々の大変な苦労がしのばれ、最後に「慰霊碑」に手を合わせてきました。
この時期念願の「おわら風の盆」と「黒部ダム」と「室堂」のみくりが池からの立山連峰の展望が叶い、とても充実の日々を味わいさせてもらうと同時に健康の大切さを改めて感じた日々でした。感謝!
猛暑日が続いておりますが皆様は、いかにお過ごしですか?
地元浅草も連日の暑さにも関わらず国内外の観光客で相変わらず賑わいを見せております。
27日には、「第47回隅田川花火大会」が開催され約2万発の花火が90分にわたり打ち上げられました。
例年浅草駅などの最寄り駅では、大変な混雑が報告されており今年も91万人の人出でごった返したようですが、小雨はありましたが無事に今年の隅田川花火大会も終了いたしました。
今月は、公私ともに長年にわたり大変お世話になった中高の恩師が86歳でお亡くなりになりました。
数度の病気にも関わらず不死鳥のようにその都度再起されお元気になられたのですが、今月静かに天に召されました。
先生は、中高で私が御属していたバレーボール部の監督をされていたご縁で公私にわたり青春時の悩みを随分聞いていただき、その後の人生の支えとなる言葉を沢山頂きました。
結婚時には、お仲人もして頂きお元気な頃は、浅草の我が家にも何度も来られ、酔いが回るとそのたびに先生お好きな「マイ・フーリッシュ・ハート」の唄を口ずさんでおられました。
下町育ちの母とも気が合っていたようで来られた時には、雑談で大いに盛り上がっていたのが忘れられません。
本当にお世話になり今はとても寂しい気持ちでいっぱいです。
葬儀には、多くの方々が来られ先生の生前の人望がしのばれました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。お疲れさまでした。
猛暑続きのさなか突然寝室のエアコンがダウンしてしまいました。
今月に入ってほとんど一日中つけっぱなしにしていたせいも有るのかもしれませんが、連日の寝苦しい夜には扇風機だけでは到底熟睡出来ません。
早速修理依頼したところ、部品交換ではダメそうなので仕方なく新規に購入することにしたのですが、猛暑の為か取付工事が混雑状態なので設置日は、10日後になりそうです。
その間別の部屋で寝る事にしたのですが、どうも寝付けません。
部屋が変わっても旅行中は、特段そのような事はあまり記憶がないのですが・・・
日々の日常であたり前に過ごしている事でも、もしそれが当たり前でなくなる事になるとこんなにも不便を感じるものかとあらためて気が付いた次第です。
災害に遭い家を失ったりして日常生活に大きな支障をきたしたりした方々をTVなどで拝見した際に感じた事が、いざ自分に起こった際には果たして自分はどう対処するだろうかと、恥ずかしながらたったエアコンの故障一つで日々のリズムが狂って参った自分をこの年になり改めて見つめなおす事となりました。
まだまだ修行が足りないな~と期せずして亡き先生に天国から叱咤されているようです。
人生いくつになっても精神の修行は続くものなのですね。
梅雨が始まったのか終了したのか定かでない日々が続いています。
地元浅草も相変わらず国内外の観光客で大変賑わっております。
そんな混雑を避けて、初めて「白川郷・飛騨高山」に行って来ました。
勿論いつも通りの妻との二人旅です。
妻は過去二度白川郷・飛騨高山に行っていますが私は初めての訪問です。
今回は初めて「大人の休日俱楽部パス」利用の旅を経験いたしました。
添乗員さんが同行する旅は、本当に久しぶりです。
今まで地元浅草で海外の観光客の御一行様を旗を掲げて先導する添乗員の姿を「なんだ~団体旅行」かと思っていたので、自分が御一行様の一員となると何か恥ずかしさも多少ありました。
上野駅で待ち合わせして新幹線で一路「上越妙高駅」へ、生憎の小雨模様でしたが、駅からバスに乗り換え「ますのすしミュージアム」で富山名物ますのすしを食べ昼食を済ませました。
昼食後は、「井波別院の瑞泉寺」へ。
小雨降る中、日本遺産・木彫り彫刻の町「井波」を彫刻士のガイドさん付きで寺院内を散策。
瑞峰寺の欄間や獅子頭の木彫り彫刻は、「素晴らしい」の一言でした。
その後は、指定旅館にて夕食を済ませのんびり時間を過ごしました。
翌日は、天気も晴れて絶好の観光日和、まずはバスにて「五箇山 菅沼合掌造り集落へ」私が以前から思い描いていたイメージ通りの合掌造りの家々をボランティアのガイドさんの説明で集落内を散策。
合掌造りの成り立ちと世界文化遺産指定までの経過とその裏話等を楽しい解説で受け大変参考になりました。
「五箇山」は、観光客も少なくとてもコンパクトな合掌造りの集落でその原風景を楽しめましたので、次回はプライベートでもっとゆっくりお茶でも飲みながら時間を過ごしたいと思いました。
「五箇山」から再びバスにてお目当ての「白川郷」へ。
こちらは、大変国内外の観光客も多くまさに「世界文化遺産白川郷」でした。
自由散策と自由昼食でしたので「飛騨牛入りの肉そば」を頂きました。
集落を一望できる展望台が集落の中ほどから440mほど登り坂の先に在り、折角なので行くことにしましたが、久しぶりの登り坂は意外ときつかったです。
しかし展望台では、眼下に「白川郷合掌造り集落」が一望でき、まるで絵葉書を見るようでした。
気温が高く汗をかいたので展望台の売店でアイスクリームを頬張り一服いたしました。
集落の中程に在る国指定重要文化財合掌造りの「和田家」では、合掌造りの内部を見学出来て大変参考になりました。
この日は、天下の三大泉の「下呂温泉」の宿に宿泊いたしました。
こちらで初めて「有馬・草津・下呂」の温泉が日本三大泉と言うことを知りお勉強になりました。
下呂温泉は、流石に「いい湯だなあ~」でした。
最終日は、「飛騨高山」です。
朝食後の散策では、「飛騨高山の朝市」に間に合いましたが外国からの観光客でかなり混雑していました。
朝市散策後は、国司跡の「高山陣屋」にも寄ってみました。
こちらは、江戸時代の御役所で300年の時を超えて飛騨の歴史を物語っており、かなり広い敷地のお役所でした。
歴史案内によると江戸幕府は、当時飛騨を幕府直轄地とし、それ以来明治維新に至るまでの176年間に25代の代官や郡代が江戸から派遣され幕府の行政・裁判・警察の政務を行ったのが「高山陣屋」だそうです。
昼食は、折角飛騨に来たので「飛騨牛の焼肉丼」を堪能いたしました。
二泊三日の初めて参加の「大人の休日倶楽部」のプチツアーでしたが改めて添乗員さんのお仕事の大変さを痛感した次第です。
バスに乗ることが多く「お疲れ様~」でした。
五月は、浅草最大の催しである「三社祭」の月です。
地元浅草の「浅草神社例大祭」である通称「三社祭」は、コロナ禍の三年間を過ぎてようやく本来の祭の姿が復活いたしました。
我が家でもコロナ禍以前は、多くの来客達で大賑わいで祭りの数日前から料理の食材や飲料・氷の買い出しで女性陣はてんてこ舞いでしたが、今年は家族各自の都合でお祭り娘一人だけが神輿を担ぎました。
我が家のある浅草三丁目東町会の宮神輿は「二之宮」でした。
今年の「三社祭」は、国内外の観光客に多くの担ぎ手が加わり浅草周辺は一日中大混雑の大賑わいのうちに無事終了となりました。
翌日の通勤散歩での観音様境内は、掃除で大変だと思いましたが、毎朝の掃除をする方々のおかげで大変奇麗になっており感謝感動です。
浅草の裏手にある旧吉原を知る「大吉原展」が、上野の東京藝術大学大学美術館で開催され、評判通リ連日大盛況で入場するのに長蛇の列をなしていましたが、何とか会期に間に合って拝見してきました。
吉原の遊郭文化、しきたり、生活などを浮世絵作品と映像を交えてわかりやすく解説されまた風俗画や美人画を中心に、吉原約250年の歴史が紐解かれておりました。
圧巻の展示は、展示室全体で吉原五丁町の遊廓を「辻村寿三郎」の人形が並ぶ大掛かりな立体模型で遊女の生活が紹介されていました。
私の会期終盤はいつも混むと分かっていても終盤近くになると慌てて駆けつける性格なのは困ったものですね、気を付けねば。
一方7月7日まで開催されている展覧会には早々と行ってきました。
私の学生時代からの友人のお嬢さんの津田道子さんが「東京都現代美術館」の企画展示室でTCAA・の2022―2024受賞記念展として作品が展示されています。
私は、現代アートは個人の感性で感じるものと考えているので作品の良し悪しは正直分かりませんが、専門家の方からの評価では彼女の作品は、映像メディアの特性にもとづき、インスタレーションやパフォーマンスなど多様な形態で制作を行っており映像装置とシンプルな構造物を配置し、虚実入り混じる作品空間が、鑑賞者の視線や動作を操作し、知覚や身体感覚についての考察へと導いているそうです。
難しく考えなくても感じたままで・・・
今回の彼女の作品テーマは、「人生はちょっと遅れてくる」で驚いたことにどこで知ったのか来場者の約8割が海外からの方たちでした。
やはり現代アートは、海外の方たちのほうが理屈でなく楽しめる作品により興味があるのでしょうかね。でもとても楽しかったです!
四月も後半だというのに肌寒い日が続いています。
地元浅草は、相変わらず海外からの観光客で大賑わいの日々です。
浅草駅からの帰宅では仲見世通りなどは、まともに自分のペースでは歩けずストレスがたまるので裏道を速足で家まで帰る始末です。
最近時間にもよりますが、帰宅時間帯に都バスが込み合うのは高齢者が増えたことも有りますが、海外からの旅行ケースを持った観光客の乗車にもあると思われます。
お互いさまではありますが。
行きつけの食事処も最近では、中々予約が取れずにいますが、地元住民が知らない内にオープンした新規の店も多くなっているようです。
コロナ禍の頃の閑散とした浅草も今となっては懐かしい想いがし、コロナ禍が遠のき浅草にも新しい時代が始まった感がいたします
十数年前にニュージーランドの世界遺産のミルフォードでのトレッキングで知り合った友人が、都内から小田原に移り住み高台に新居を構えたので、お祝いを兼ねてプチ旅行に行って来ました。
東京から小田原まで新幹線でおよそ30分、小田原は遠いと思ったのですが、浅草の自宅からは徒歩を含めても一時間余り着く距離です。
彼の家のまるで裏庭?のような整備された市営の公園は、天気も良く人も少なくて駅前の商店街で購入した地元産の食材を使ったお弁当とワインやビールでのランチには最適な場所でした。
高台の公園は、小田原市内も一望でき海のキラキラも奇麗でした。
お酒も入りほろ酔い気分での雑談で気分転換も出来て最高の一日を過ごさせてもらいました。
仕事も年齢も関係ない友人達との時間は、本当にプライスレスです。
又友人に、六本木にある会員制で完全予約制の高級焼肉屋さんにも連れて行ってもらいました。
厳選された牛肉の各部位を厳選された塩・醤油・ワサビなどを付け、ワインや日本酒でのペアリングで食べる焼肉は、「ほっぺが落ちる」最高の美味しさでした!
私にはたまのプチ贅沢でしたが、おそらく海外からの観光客には円安もありきっと「コスパ最高」であるでしょうから、あまり知られてほしくないなと思いました。
根性悪いですかね。
四月も「感謝の一言」で日々過ごさせてもらい、家族全員の健康での幸せを心から感じる一ヶ月でした。
三月に入っても地元浅草では相変わらず観光客で賑わっています。
毎朝の通勤散歩に通る観音様境内も早朝から海外からの観光客の姿が多く目につきます。
特に雷門での記念写真は、日中に比べまだ観光客が少ない為かポーズを取り皆さんニコリと微笑んで、はいパチリ!
一生に一度のことかも知りませんから気持ちは良くわかります。
実は、妻の左足首の古傷が悪化して手術を先月末にいたしました。
若い時に階段から落ち足首を痛めたのですが、年月が経ち昨年の北アルプス登山の頃から下山時に痛さを訴えておりました。
整形外科を複数訪ねたのですが、年齢の為とかで薬を処方されて終わりとなり痛さは少しも軽減されなかったようです。
膝の専門医は、比較的多いようですが、足首の専門医はまだあまりいないようです。
それでも知り合いのお医者さんから紹介された足首の専門医に見てもらい早急に手当てするように勧められ手術となりました。
幸いの事に私達夫婦は比較的健康ですが、もし身体に問題が有れば当然早急に対処すべきと考えておりました。
私はあまり具体的に考えた事がなかったのですが、今の医学はかなり専門分野が細分化されているようで身体の部位ごとに専門医がいることを改めて知りました。
具体的な手術内容はわかりませんでしたが、患部に穴をあけ管を通して骨を削ったりもしたようです。
結果4週間のリハビリ入院をしたので、私は必要なものを週2回持参しに病院に行きましたが、具合が悪い人達が大勢いることに驚くと共に今更ですが医療従事者、特に看護師さんの大変さを肌で感じました。
本当に大変な職業です。
職業は、どの分野でも多かれ少なかれ大変なことは多々ありますが、今回は看護師さんの大変さをとても感じました。
妻は、無事に予定より少し早く退院出来、現在はリハビリをしながら杖を突き少しずつ歩くことが出来る様になりましたが、暫くは通勤時の送り迎えは、私の役目になります。
妻の手術と入院は、家族の健康の大切さを改めて感じた出来事でした。やはり健康が何よりも一番ですね。
健康でなければ、やりたい事も出来ず、行きたい所にも行けず、美味しいものも食べられません。
皆様もくれぐれもお気御付けください。
二月に入って予想外の天気模様で、春先の気温になったかと思うとまた真冬の気温に戻ったりして体調管理も大変です。
それに加えスギ花粉も伴い日々の生活にも何かと支障をきたしております。
そんな中混雑の地元浅草を離れ、この時期我が家では慣例行事となっている奥日光へのクロスカントリースキーをしに戦場ヶ原周辺に出向きましたが、今年は雪が少なくXCスキーを断念して定宿の「中禅寺金谷ホテル」で温泉と美味しい食事でのんびり過ごしました。
翌日は、以前に宿泊してすっかりお気に入りになった「鬼怒川金谷ホテル」で美味しい和食と温泉を堪能しプチ贅沢をいたしました。
また前回鬼怒川で訪問できなかった「東武ワールドスクウェア」に初めて行って来ました。
こちらでは、世界の有名な建築物や遺跡などを25分の1の縮尺で22ヶ国102点が精巧に再現されており短時間で世界一周の旅を楽しめました。
特に新婚旅行で訪問したエジプトゾーンでは、懐かしい想い出がよみがえってきました。
また以前「明治村」でフランク・ロイド・ライト設計の「帝国ホテル二代目本館」は見学しましたが、図面でしか見たことが無かったホテルの全景を精巧な姿で見ることができとても感激しました。
また日を改めて向かった裏磐梯では、家族お気に入りの高原のリゾートホテル「裏磐梯高原ホテル」に宿泊いたしました。
ホテルの部屋や源泉の露天風呂からは、日本100名山の一つで会津富士とも呼ばれている「磐梯山」が眺められます。
ホテル館内には彫刻家・造形作家として活躍された「多田美波」氏のガラス照明や有名アーティストのアート作品が随所にありゆっくり鑑賞出来ます。
またプライベートラウンジとして自然やアートなど約1600冊のライブラリーもあり、コーヒー片手にゆったり贅沢なリゾート時間を過ごせました。
こちらでの食事は、絶対に地元の食材を生かした和食に限ります。
温泉よし食事よしアートよしの三拍子がそろった素敵なホテルです。
途中初めて寄った「大内宿」の山本屋では胡桃蕎麦を頂きました。
会津産の天然くるみをすり鉢で擦ってペースト状にして蕎麦に付けて食します。
地元では祝い事に振舞われる御馳走メニューだそうでとても美味しかったです。
今回は、そのほかに会津「鶴ヶ城」を見学したり、茶室「麟閣」でお抹茶を頂いたりもして「裏磐梯のんびり旅行」を愉しんできました。
また新緑の頃の裏磐梯も好さそうです。
健康一番をあらためて感じたプチ旅行の日々でした。感謝!
皆様は、どのようなお正月を迎えられましたか。
正月でもあり地元浅草では、観音様周辺の名のある店舗は相変わらず観光客でどの店も長蛇の列をなしており、特に雷門での記念写真撮りは、大変な混雑です。
また最近は、着物に着替えて人力車に乗り浅草周辺を回る外国の観光客が頻繁に目に付くようになりました。
昨年の11月から開催されている、「世田谷美術館」の「倉俣史朗のデザイン 記憶のなかの小宇宙」にやっと行くことが出来ました。
案内のパンフレットにもありましたが、没後30年を過ぎて開催されたこの展覧会は、家具やインテリアの仕事に加え創作の源泉を垣間見せるかのようなイメージスケッチや夢日記も紹介され、一風変わった家具や特色のあるインテリアデザインの背景を理解できました。
1965年の独立後に同時代の美術家達とも交流し独自の作品を発表しつつ1980年代にはイタリアのデザイン運動「メンフィス」に参加しその名は、一躍世界中に浸透していきました。
作品は、各国の美術館に収蔵され今なお高い評価を受けています。
残念ながら1991年に57歳という早過ぎる若さで亡くなりました。
展覧会では、代表作の造花の薔薇を透明アクリル樹脂に封じ込めた椅子「ミス・ブランチ」・板ガラスを組み合わせただけの「硝子の椅子」やエキスパンドメタルの椅子「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」などの実物を見たり座ったり(特に後者は)できました。
個人的には、40年ほど前に商品説明に伺った際にお会いして頂いた名刺は、貴重な「記念の名刺」となっています。
今月から開館20周年記念展として「パナソニック汐留美術館」で開催されている「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」にも行くことが出来ました。
会場のパンフレットにもある様に、今回は特に「帝国ホテル二代目本館100周年」ともなり帝国ホテルを基軸に、多様な文化と交流し常に先駆的な活動を展開したライトの姿を明らかにした展示内容となっていました。
フランク・ロイド・ライトと言えば、「落水荘」や以前訪問した事のある「グンゲンハイム美術館」で知られるアメリカ近代建築の巨匠ですが、日本でも現在明治村に一部移築保存されている「帝国ホテル二代目本館」や「自由学園」(両建築も行きました)を手掛け、それに初めて知ったのですが、熱烈な浮世絵の愛好家の顔も持つ、日本とも縁のある建築家だったそうです。
勉強になりました。
今年も色々な展覧会にお邪魔できそうで今から楽しみです。
一年は早いもので今月もあとわずかとなりました。
地元浅草は、相変わらず観光客で賑わっております。
個人的に好きな夜間の観音様境内でもライトアップが人気のようで以前より観光客の姿が多いような気がいたします。
地元の賑わいは嫌ではありませんが、少し離れてのんびり出来る温泉を目指して静岡の「梅ヶ島温泉」に行って来ました。
宿泊した「梅薫楼」は、梅ヶ島温泉で一番の伝統と規模を誇る老舗で約150年の歴史を有している宿です。
梅ヶ島温泉は、古くは武田信玄の御用達、江戸時代は鬼平犯科帳の舞台など伝説の秘湯だそうです。
特に天然硫黄泉の「穴風呂」と山菜料理や「鱒甘露煮や猪鍋」が自慢の宿で何となく古びた雰囲気で気に入りました。
ぶらりと近所を散策しましたが、落差100m垂直に切り立った岩の上から落ちる水しぶきが壮観だった「安倍の大滝」や木立の中を細長く三段になって流れ落ちる「三段の滝」が特に印象に残りました。
帰りにNHKの大河ドラマで話題になっている家康ゆかりの「駿府城公園」にある「紅葉山庭園」の立礼席でお抹茶を頂き充実した時間を過ごせました。
今月で73歳になるので横浜の「ホテルニューグランド」で誕生日を祝ってもらいました。
「ホテルニューグランド」は、日本クラッシックホテルの会のメンバーで今回の宿泊で三巡目になります。
重厚な雰囲気は相変わらずで、特にクリスマスシーズンとあってクラッシックなクリスマスツリーが素敵でしたし、いちごフェアでの豪華な「いちごパフェ」も美味しかったです。
この一年健康の大切さを改めて感じることが多々ありました。
健康であれば登山にも旅にも行かれますし温泉に浸かったり美味しいものも食べることもできます。
来年も健康管理怠りなく感謝の気持ちを持ち日々楽しく家族と過ごせるように心掛けてゆきたいと思います。
年末飲食の機会が多いと思われますが、皆様にとって健康でより良い年を迎えられますように!
来年もよろしくお願いいたします。
相変わらず地元浅草は、海外からの観光客で溢れかえっています。
昔から良く行く飲食店も予約なしでは入れなくなりました。
特に休日以外の平日でも、浅草寺周辺の混みようは驚くばかりです。
浅草を逃れて、ようやく家族全員で6年ぶりに清里のペンション「ゲストハウス・バーネットヒル」に行って来ました。
バーネットヒルは、我が家では38年前からお世話になっているペンションです。
久しぶりにオーナーのIさんご夫妻に会い楽しい時間を過ごさせてもらいました。
いつまでもお元気でいてほしいです。
清里では、「尾白川渓谷」や日本酒の「七賢」・お馴染みの「清泉寮」それに懐かしの「八ヶ岳高原ヒュッテとロッジ」などに行き新鮮な空気と食事を楽しんでとてもリフレッシュ出来ました。
そのリフレッシュついでに昨年初めてお邪魔した「宮古島」にも家族全員で行くことが出来ました。
昨年は、宮古島の帰りに沖縄本島にも寄ったのですが、中心地の車の渋滞と人込みで今回はパスしました。
昨年気に入ったプール付きのビラと偶然昨年と同じ車となったレンタカーを借りてのんびりの「宮古島」を堪能いたしました。
各自滞在中はフリータイムとしましたが、昨年「宮古島」から渡った「伊良部島」以外の二つの島、「池間島」と「来間島」には行きたかったので私からリクエストしました。
両島へは現在は伊良部島同様に各々長い橋が架かり車で渡れます。
滞在中夕食は地元の「ドンキー」で食材等を買いビラにてバーベキューをしてわいわいと飲んだり食べたりして楽しみました。
家族は各々がスキューバーやプールで愉しんでおりましたが、私は、ビラ近くの「ワイワイビーチ」でライフジャケットを付けて海水に浸かって漂っておりました。
観光は、「雪塩ミュージアム」でソフトクリームに各種の雪塩でトッピングをして味の違いを楽しんだり昼食は「ガーリックシュリンプ」を食べたりし、天然記念物の「島尻マングローブ林」では散策コースで十分にマングローブの生態を見学出来お勉強になりました。
昨年行きそこなった、ビラの直ぐそばに在る「うえのドイツ文化村」へも行きました。
島民が明治時代にドイツの難破船を救助したゆかりの地に建つテーマパークですが、現在は観光客もまばらで施設内の建物は荒れ果てていて残念ながらまるで廃墟のようでした。
家族全員で行く旅行は、本当に楽しみですがそれも各自が健康でいての事でと改めて思うプチ旅行でした。
何より健康が一番!
十月に入り毎朝の観音様境内の木々もすっかり秋模様となり、我が家お馴染みの「日光・上高地」からも紅葉の便りが届いています。
秋の紅葉の季節に登山をしようと思いながら果たせずにいましたが、今年は毎年四季折々にお邪魔している「日光」の戦場ヶ原や小田代ヶ原から見上げている「男体山」に初めて登山することにしました。
昨年から少しずつ始めている登山です。
ジムで鍛えている体力が登山ではあまり通じないことを実感していますが、日本百名山の「日光男体山(2484m)」にはいつかチャレンジしたいと思っていました。
今回もかみさんとふたりでの登山計画です。
「日光二荒山神社」の男体山頂奥宮へ入山料を払いお守りを受け取って、登拝口からいよいよ登山開始です。
いきなりの階段を経て登山口一合目から本格的な登山が始まります。
いつも戦場ヶ原から望む「男体山」は、まさに登りのお山です。
中禅寺湖が海抜1269mですので登りは、およそ1200mです。
登山開始からひたすら山道を登ります、もともと修行のお山ですから厳しい山道が山頂迄ずっと続きます。
四合目あたりで徐々に右足の腿あたりが攣り始めました。
以前登山した尾瀬の「燧ケ岳」でも同じようになりましたが今回はどうにもならず、残念ながら登山を途中断念することにしました。
相談の結果、かみさん一人で山頂まで行くことに。
山頂付近では大変風が強く足も弱ってきて彼女にとっては、かなり厳しい登山となりその結果、通常往復6~7時間の登山が約9時間近くかかりましたが、それでも夕方5時過ぎに無事に戻ってこれホッといたしました。
かみさんのガッツには毎度脱帽するばかりです。
とても嬉しい知らせがありました。
中高の同級生の小川君(中村歌六)が「人間国宝」に認定され、そのお祝いを同期の店「築地宮川本店」で同級生が集まり祝宴を開くことになりました。
歌舞伎役者の家に生まれた彼は、中高で我々が放課後にクラブ活動をしていた時でもお迎えが来てお稽古に通っていました。
屋号は播磨屋、現在「五代目中村歌六」で歌舞伎脇役としての人間国宝の認定です。
彼はスーパースターでなく「脇を固める役者」ですが見る人が見れば彼の「脇の締め」あっての歌舞伎なのですね。
後継者にも恵まれ、長男は彼が中高の頃に名乗っていた「米吉」です。
この年になり友人が各方面におりますが、「人間国宝」の友達はさすがにいません、コツコツの積み重ねの大切さが身に沁みました。
九月に入ってもまだ暑い日々が続いています。
土日祝日の地元浅草は相変わらず多くの観光客で賑わっております。
そこで以前よりどうしても行きたかった、初秋の北アルプス「涸沢カール」へ思い切って行って来ました。
「涸沢カール」へは、毎年お気に入りで行く「上高地」から「横尾」を経て「穂高岳」方面に行くコースとなりますが、登山初心者の私では目的の涸沢カールにある「涸沢ヒュッテ」に一泊するのが安全ですがこの時期ヒュッテは予約が取れず、「横尾山荘」をベースにピストンで涸沢カールに行くことになりました。
登山経験豊富の方でも涸沢カール(2300m)までは、往復6時間を要しますが、私達登山初心者ではいかほどの時間がかかるやと、行く前から不安はありましたが、翌早朝に横尾山荘前の「横尾大橋」を渡りいざ出発となりました。
橋を渡るといよいよ本格的な登山が始まります、左手に「屛風岩」を見ながら穂高連峰を仰ぎ見ます。
休み休みで何とかヒュッテの吹き流しが急な登山道から見えた時は「もう少しだ頑張れ」と思いましたが、今までの経験では山頂が見えてからが勝負です。
案の定、急な登りで途中休憩している登山者がなんと多いことか。
最後の力を振り絞り何とか4時間ほどで無事ヒュッテに到着いたしました。
ヒュッテのベランダで名物の「おでん」と「ノンアルのビール」でカミさんと乾杯!もちろん記念写真もバッチリ撮りました。
熟練の登山者は、ここから「北穂高岳」や「奥穂高岳」「前穂高岳」に向かうのですが、この「涸沢カール」が我々の最終の目的地です。
一時間半ほどヒュッテにいて「涸沢カール」と「穂高連峰」をのんびり眺めて満足感にあふれている自分がここにはおりました。
本来なら後一か月すれば素晴らしい紅葉が一帯を埋め尽くすのでしょうが、この時期は例年大変多くの登山者で賑わうと言われ、我々登山初心者では登山者が鈴なりになる山道は、自分たちのペースでは少し無理と思われます。
下りは、疲れも忘れて登ってくる登山者にエールをかけるほどの余裕をもて3時間半ほどで「横尾山荘」着きました。
翌日は、横尾から上高地まで約3時間の山道を経て、お馴染み10度目の「上高地帝国ホテル」で宿泊してのんびり身体を癒しました。
翌朝「岳沢湿原」「田代湿原」を散策して帰途に就きました。
十年来の目的「涸沢カール」に行けて又良い想い出が出来ました。
猛暑の日々がまだ続いておりますが、皆様はいかがお過ごしですか。
盆休みの連休もひと段落し、台風も過ぎ去りましたが交通の混乱はまだ多少続いているようです。
特に海外からの観光客に対して天候等による交通機関のインフォメーションは、今後対策が必要と感じます。
私は、早めの夏季休暇を取り九州熊本までのロングドライブをしてきました。
妻の実家のお墓参りを兼ねての旅でしたが、学生以来の九州までの10泊11日のロングドライブの計画は、多少不安要素もありましたが、結果は何とか安全に東京まで無事に帰って来ました。
一日目は、「神戸」までの532キロを休み休みで6時間半のドライブです。
改めて現在の車の安心安全の「らくちんさ」に驚きました。
宿は「オークラ神戸」で食事もサービスもとてもよかったです。
学生以来の神戸でしたが、後々のスケジュールを考えて港エリアを散策する程度にいたしました。
二日目は、「萩」まで471キロを約7時間でたどり着けました。
萩も学生以来で松陰神社や萩城跡あたりを散策いたしました。
三日目は、いよいよ第一の目的地「熊本」までで280キロを4時間半で到着出来ました。
お墓参りも無事済ませ、震災以来の「熊本城」の修復状態を見学したり熊本ラーメンをはしごしたり、加藤神社や県立美術館に寄ったりして二日ほど皇室御用達の「熊本ホテルキャッスル」で過ごしました。
五日目は、「阿蘇山」を目指しその広大さに改めて驚きました。
特に「大觀峯」からの展望は、一見の価値があります。
宿泊は、「瀬野本高原ホテル」で特に夜間の「天の川見学ツアー」は、ガイドさんが驚くほどの好天気で数年前のオーストラリアのウルル(エアーズロック)で経験した以来の天の川がはっきり見えました。
六日目は、この旅のハイライトの「湯布院」での「亀の井別荘」の宿泊です。
距離メーターは1373キロを指していました。
「亀の井別荘」は、流石に由緒正しく100年を超える旅館で館内の雰囲気も季節の会席料理も湯もおもてなしも最高の一言でした。
家具とジャズ好きの私としてはロビーでのミドセンチュリーの「イームズのラウンジチェア」やバーで使用していた「ヴァイタボックス」のスピーカーなどが家具やオーディオ好きにはたまらない雰囲気を何気に醸し出しておりました。
特に読書室で「SPレコード」を専属の方から聴かせてもらったのは、大変想い出に残る経験でした。
静寂の中の非日常を十分に味わせてもらった一泊でした。
七日目は、「臼杵」で「フグ」の美味しい旅館「川口屋」へ宿泊です。
臼杵は、国宝の「臼杵石仏」で有名とかで山間に有る石仏群を見学した際のボランティアの地元のおじさんの案内が、とてもチャーミングでほほえましく印象に残りました。
宿で食べた「フグ懐石」は、地元でしか食せないフグ料理などで珍しさもあり美味しくいただきました。
八日目は、「松山」でフェリーにて愛媛の三崎経由で行きました。
台風の影響で翌日から欠航とかで間一髪の四国上陸でした。
松山の道後温泉までメーターは、1496キロを指していました。
生憎の天気と名所の「道後温泉本館」が改修中で搾りたてのオレンジジュースを頂いたのとコインランドリーに行くぐらいで後は、故黒川紀章設計の宿「道後館」で過ごしました。
九日目は、二つ目の目的地「高知」で「牧野植物園」への訪問です。
NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公の植物学者「牧野富太郎」の息吹に触れるスポットの県立の植物園です。
およそ8ヘクタールの園内を見て回るだけで日が暮れそうでしたが
牧野氏の植物分類に対しての熱意が伝わり大変勉強になりました。
メーターは、すでに1615キロを指していました。
宿の「城西館」での「カツオの藁焼きたたきのショー」を見学後に頂いた「カツオのたたき」は、新鮮でとてもおいしかったです。
十日目は、早朝「坂本龍馬記念館」を見学後一路「大津」へ、生憎の天気で「比叡山延暦寺」は、霧にかすんでおり「根本中堂」も改修中で日を改めて再度参拝に来ることにいたしました。
メーターは、2231キロを指していました。
十一日目は、最後の宿泊の「琵琶湖ホテル」から琵琶湖からの「日の出」を見た後、誰もいないホテル周辺を散策いたしました。
帰路は、折角なので「彦根城」を見学して帰ることにしました。
国宝の「彦根城」と名勝「玄宮楽々園」は、初めての訪問でしたが立ち寄って正解でした。
特に庭園は大変立派で見応えがありました。
彦根城から高速を乗り継ぎして無事に東京へ帰ってきました。
恐らくこれほどのロングドライブは、もう出来ないと思いますがとても充実した「想い出に残る旅」を経験させてもらいました。
健康でいると想い出に残る事が沢山経験できるものですね。
東京から熊本まで往復2730キロのロングドライブでした!
まだ「梅雨明け宣言」が出ないのですが、猛暑の中東京へ来る海外からの観光客で一番人気の地元「浅草」にはコロナ前よりも人出がますます増え仲見世などは、思うように歩けません。
毎日の通勤散歩時の観音様境内は、以前よりも早朝にも拘らず外国人観光客が多く目に着くようになりました。
「日本クラッシックホテルの会」加盟ホテル巡りも三巡目になり夫婦二人でなく家族を伴って行く機会が増えました。
そんな折、川奈の「まとい」に鰻を食べに行こうという話になり、何とか予約が取れたので娘と夫婦の三人で行くことになりました。
今回は食事に重点を置いたプチ旅行で宿は当然三度目の「川奈ホテル」です。
目的の鰻を美味しくいただき、また今回初の「鮨割烹しゃらく亭」で人気の金目鯛の煮付けもおいしく頂きました。
「川奈ホテル」はゴルフコースが有名ですが、私はゴルフをしませんので友人からは、もったいないの言葉をいつも投げかけられております。
朝食や昼食時のゴルファーは、特ににぎやかです。
帰りにお目当ての「籠清」のかまぼこを買って帰途に就きました。
昨年からなぜか「登山」に目覚め尾瀬の「燧ケ岳」や屋久島の「黒味岳」、那須の「朝日岳や茶臼岳」などに登山に行きましたが、今回よりハードルが高い「白馬岳」にチャレンジしてきました。
ネットで経験豊富なガイドさんを探し希望日を何とか予約したのですがたまたま天候が不透明な時期になり、現地にて登山するかはガイドさんの判断に委ねることになりました。
当初の登山コースを変更し「蓮華温泉」から「白馬大池」を経由して「小蓮華山2766m」を通過し「三国境」を経て目的の「白馬岳2932m」に行き「白馬山荘」泊のコースとなりました。
「蓮華温泉ロッジ」を出発する際はまだ何とか天候は持っていましたが、山の天気はガイドさんでも行ってみないと分からずとりあえず出発いたしました。
勿論雨具等は完璧です。
予定ではガイドさん曰く通常なら工程8~9時間のはずですが我々の登山経験と年齢や天候を考慮してもう少し時間を見て休み休みしながら楽しんで行きましょう!と言ってもらいました。
ところが出発してから間もなく右の太もも辺りが攣り始めサポーターをしての登山となりました。最悪です。
「白馬岳」は、豊富な高山植物から花の名山としても有名ですが、途中から雨がだんだん強くなり風も収まらず、楽しみにしていた稜線歩きも風雨で全く視界が見えず前を歩くガイドさんの後ろ姿をたよりに一歩づつ進んで行くのが精一杯でした。
風雨で余裕もなく登山道の高山植物をゆっくり見る事は出来ませんでしたが、ライチョウの姿を見ることが出来たのが救いでした。
それでも歯を食いしばって「白馬岳山頂」に到達し思わずよく頑張ったねの言葉をカミさんと自分に投げかけました。
宿泊の「白馬山荘」に着いたのは出発してから約11時間を要しました。
足もがたがたで山小屋なので風呂もなく疲労のため雨と突風の音で中々寝つかれませんでした。
消灯までガイドさんと山の話を聞かせてもらい朝食の時間ぎりぎりまで寝ておりました。
最終日は、「白馬山荘」から「白馬大雪渓」経由で「村営猿倉荘」までの工程です。
有名な「白馬大雪渓」は、全長3.5km、標高差600mの日本一のスケールを誇る雪渓です。
今回、初めてアイゼンを付けて雪渓をゆっくり下りました。
途中風雨が強くなりいくつかのアドベンチャーを経験して「猿倉」に着いたのは出発してから約7時間でした。
生憎の悪天候の中での「白馬岳」登山でしたが、これから行くであろう登山にとって大変良い経験をさせてもらいました。
良いガイドさんに恵まれ再度の予約も入れてきました。
「道の駅小谷」にあった日帰り温泉で疲れをいやし無事帰途に着きました。
風呂上がり久しぶりの「コーヒー牛乳」は、格別でした。
健康第一で日々充実した日々を過ごし、またトレッキングや登山を楽しみたいと思った「白馬岳」登山でした。
たびたび記載しておりますが、新型コロナウイルスが落ち着き始めたせいか、毎日の通勤散歩で通る観音様境内にも海外からの観光客が早朝にも拘わらずとても増えております。
先月4年ぶりに本格的に開催された浅草最大の一大イベントの「浅草三社祭」も無事終了ましたが浅草界隈は、相変わらず観光客で賑わっております。
毎年この時期に行く「上高地」に今年も行って来ました。
上高地には例年夜行バスで行くのですが、今年は久し振りに「安曇野」に行きたかったのでマイカーで行くことにしました。
梅雨時ですので当然雨が降るのを前提にして装備万全で行きます。
安曇野は、学生の時以来ですから当時の記憶もあまりありません。
安曇野と言えば「わさび」です、一番に「大王わさび農場」に寄りました。
思いのほか敷地が広くわさびの生産現場を目の当たりにし、少しイメージは違いましたが、農場内の食事処で食べた取れたてのわさびを付けた蕎麦は、とても美味しかったです。
また初めて「穂高神社本宮」に参拝もしてきました。
以前から訪問したかった「碌山美術館」にも立ち寄る事が出来ました。
こちらは、日本近代彫刻の扉を開いたと云われ30歳で亡くなった「荻原守衛(碌山)」の作品と資料を保存している美術館です。
ゆったりとした敷地に展示棟が4カ所ありそのうちの30万人の寄付と支援により1958年に開館したツタの絡まる美術館のモニュメント的な「碌山館」で記念写真をパチリ。
館内には、重要文化財の作品でもあり日本近代彫刻の最高傑作と言われる「女」は、やはり圧巻でした。
「安曇野」を後にして上高地の入り口の「さわんど」へ。
「さわんど」初の宿は、清流梓川のほとりにある宿「しおり絵」です。
客室も温泉も食事も予想以上でとても気に入りました。
次回「高山」や「白川郷」方面に行く際に又寄らせてもらおうと思いました。
「上高地」は毎年気に入って比較的人が少ない梅雨時に訪問することが多いです。
定宿の「上高地帝国ホテル」は9度目の宿泊です。
お馴染みのスタッフもおり「日比谷」で会う時とは別人で、リゾート地ではお互いにリラックスして話が出来「これ」も気に入っています。
時間の都合で今回の散策は、「徳澤」まで行けず「明神池」と安曇野で立ち寄った「穂高神社」の「奥宮」まででした。
上高地帝国ホテルで我が家のおきにいりの客室、我が家でいう「屋根裏部屋」の305号室でのんびりで癒されます。
翌日はいつものパターンで早朝からお気に入りのスポット「岳沢湿原」と「田代池・田代湿原」へ、誰にも会わず貸し切り状態で独り占めしてきました。
この時期ならでの岳沢湿原と田代湿原の雨に濡れたレンゲツツジがとても可愛く又雨の田代池にゆったり流れる透き通った梓川も素敵でした。
今回も早朝の湿原の散策を存分に楽しめた期待通りの上高地で、また秋ごろお邪魔できると良いのですが。
朝の通勤散歩の浅草観音様境内は、コロナ禍以前にすっかり戻った感があります。
特にゴールデンウイーク期間中の浅草は、海外からの観光客でごった返しており、中でも欧米からの家族連れの観光客の姿が目に付きます。
観音様周辺の人気のある飲食店での長蛇の列には驚かされます。
そこで地元浅草の混雑を避けて久し振りに那須にホッとしに行って来ました。
我が家で「那須」と言えば子供が小さい頃には、「りんどう湖」を思い浮かべていましたが、近年は那須での定宿「二期俱楽部」をもっぱら思い出しましたが、残念ながら数年前に閉館してからつい足が遠のいていました。
そんな折ゴールデンウイーク前にその二期倶楽部の美意識を受け継ぐカルチャーリゾート「アートビオトープ那須」からレジデンスの宿泊案内メールを頂き急遽「那須高原」に行くことに!
以前にも宿泊した事のある「レジデンス」は、アーティストの創作活動をサポートする宿泊施設です。
特に建築家の「石上純也」さんが2018年に手掛けたボタニカルガーデン「水庭」を敷地内に有することで色々な雑誌等で取り上げられランドスケープデザインに興味がある方達の間では有名な施設です。
「水庭」は、木と池、苔で構成された究極の「人工物」です。
アートと生物の生息域を意味するビオトープを組み合わせた造語である「アートビオトープ」は、アートの生息を意味するそうで318本の木々を移植し人工的に作った160の小さな池をモザイクのように配したのが「水庭」です。
飛び石に沿って敷石を歩いて行くとなぜか自然と心身が重なり合ってまるで森を散策しているような感覚になる不思議な庭でした。
鳥のさえずりが聞こえ、池の中にはオタマジャクシが沢山いて、これからのシーズン夜な夜なカエルの合唱で悩まされる日が続くと思われました。
元の二期倶楽部のスタッフによる美味しい食事や心のこもったサービスは、数年間のブランクを全く感じさせない居心地の良さを味わいさせてもらい再訪を約束してきました。
時間的に余裕があるスケジュールだったので、那須牛のステーキを食べたり地元産のジェラートを食べたり又周辺にある建築家・隈研吾氏設計の「那珂川町馬頭広重美術館」や「石の美術館」も訪問できて存分に楽しむことが出来ました。
折角那須に来たので最終日に登山をしようということになり、標高1915メートルの「茶臼岳」と1896メートル「朝日岳」に登山して来ました。
往復約8キロの道のりを途中休憩約1時間を挟み6時間余りのかなりきつい登山でした。
特に山頂近くの岩場で続く鎖場はかなりスリリングでしたが、何とか無事山頂に到達出来ました。
晴天にも恵まれて山頂からの眺めはやはり最高でした。
これだから登山は、やめられないのですね。
年齢の割にはかなり頑張った登山でした。
毎朝の家から観音様境内を経由して会社までの通勤散歩で見る街の様子もコロナ禍前の状況に戻ってきた感があります。
コロナ禍中は、早朝の観音様境内は近所の方々のわんこの散歩姿と境内の掃除の方々ぐらいしか見られませんでしたが、今日この頃は、早朝にも関わらず海外からの観光客を見かけることが大変多くなってきました。
境内のソメイヨシノも八重桜もすでに咲き終わり、今はツツジが多く目に入り新緑の木々たちが目立ってきました。
日中の観音様境内周辺や仲見世は、観光客特に欧米の観光客たちで、まともに歩くことも難しいようになりました。
観光客の多くは、SNS等で知った評判の良い飲食店の前で列をなし順番待ちの間は、ノーマスク姿でおしゃべりを楽しんでおります。
コロナ禍が下火になりやっと来られた日本ですから人気店で飲食を楽しむのは大いに理解できますが。
特に海外からの観光客は、SUS等で情報を取り人気のお店を見つけているようで、地元の住人からは信じられないようなお店に長蛇の列をなしているのには驚きを隠せません。
今年は来月には浅草最大の慣例行事である「三社祭」も盛大に行なわれる予定ですのでコロナウイルスによる感染拡大が大変心配です。
主催者側では、神輿も従来通り出るのでコロナ対応は各自自己責任でお願いいたしますとの暗黙の了解で過ごすようです。
先日母の命日で向島のお寺に行く際に隅田公園を通り「桜橋」を渡ったのですが、丁度隅田川の「早慶レガッタ」開催日に重なりブラスバンドの応援などもあり多くの人出で賑わっていましたがノーマスク姿の人も多くおり、五月の「三社祭」や四年ぶりに開催される七月の「隅田川花火大会」の人出はこんなものでないので、コロナウイルスの感染拡大がますます心配になりました。
藤の季節だと思いだして会社から徒歩で行ける「亀戸天神社藤まつり」に寄ってみたのですが、多くの参拝客で池に架かっている「太鼓橋」も長蛇の列で思うように渡れませんでした。
ちなみに「くず餅」で有名な船橋屋の前は驚くべき長蛇の列!
コロナ禍が三年も続けば人々の心境としては多くのイベント等に出向きたいのは理解できますが、またコロナ禍中の不便さを考えると二度とごめんですのでせめて混雑する場所に出向く際は、当面マスクは質需品だと思います。
先日久し振りに帰国した大学時代のケルン在住の友達は、ドイツでは全くマスクをしている人はいないとのことでしたが、海外を含めてコロナウイルスの影響で多くの人達が亡くなり街が一時ロックアウトされ不自由な生活を強いられた事態を忘れているようで何か不思議です。
最近は、観光客の増加の影響からか近所にある昔から行きつけの飲食店も予約が全く取れず、外食もままならない事態で繁華街周辺に住む身としては心中複雑な思いです。
コロナ禍中にそ~っと行った熊野古道や金毘羅さん・直島・高野山・屋久島・伊勢神宮などの閑散としていた場所は、もう二度とあの時の雰囲気は味わえそうもないかと思うと大変貴重な体験をさせてもらい今では良い想い出でになっています。
最後に以前より気になっていた映画でジャズのお仲間に背中を押されてやっと観に行って来た「ブルージャイアント」は、漫画「BLUE GIANT」を原作にしたアニメ映画です。
通常私は、アニメ映画は観に行くことは稀ですが、久しぶりにまた行きたくなる映画で本格的なJAZZ好きでも満足できる作品でした。
ジャズに魅せられてテナーサックスを始めた青年が、バンドを結成して日本のジャズシーンを変えようとするストーリーで音楽をジャズピアニストの「上原ひろみ」さんが担当していました。
新宿の音響の良いスクリーンをお仲間に勧められたこともあり迫力ある音で大いに楽しめました。
ジャズに興味がある方にお勧めです。
ちなみに映画館ではマスク着用で安心して映画鑑賞が出来ました!
地元浅草の観音様境内では、梅もすでにピークを過ぎ次の桜にバトンタッチ準備中の様子です。
2月に入りいよいよ我が家では、ウインタースポーツシーズン到来です。
例年通り先ずは、奥日光の「日光アストリアホテル」専用コースの“原5キロコース”でXCスキーを楽しみました。
雪の状態もまあまあでお天気にも恵まれおなじみの光徳沼で休憩し光徳牧場一周で約2時間ひと汗かきました。
宿泊は定宿の「中善寺金谷ホテル」で温泉と食事を楽しみました。
翌日は、クラッシックホテルの会の加盟メンバー最古参「日光金谷ホテル」に宿泊。
これで「クラッシックホテルの会」全9カ所踏破も2巡目で無事終了です。
今回久し振りに朝から東照宮と周辺の社寺の参拝と散策をしてからお馴染みの「明治の館」で美味しいランチ!
帰途途中霧降高原の「キスゲ平園地」の天空回廊に寄って行きました。
スタート地点から小丸山展望台までなんと1445段、標高差235mの階段を何とか往復約2時間で踏破!
階段に雪が所々積もっていて滑りやすく下りに時間がかかってしまいましたが、無事に戻れて“登頂記念カード”を頂きました。
また先月の「八甲田」の初スノーシュートレッキングが天候の悪化の為途中で休止となり消化不良状態でしたので、再チャレンジに久しぶりに「みなかみ」にスノーシューハイキングをしに行って来ました。
上野から新幹線で上毛高原に行きバスで水上まで我が家からおよそ2時間半!で宿に着きました。
宿は、「太宰治」ゆかりの宿「旅館たにがわ」で館内にある太宰治ギャラリーには、色々ゆかりの資料等が展示されていました。
今回は、ガイドさんお勧めの「雨呼山」コースで本格的なスノーシューハイキングです。
前日天候が悪く宿で一日過ごしましたが、翌日は天候が回復しガイドさん曰く“まれにみるスノーシュー日和”です。
「雨呼山遊歩道」をスノーシューを履きガイドさんのラッセルを先頭にひたすらアップダウンの雪道を歩き山頂を目指しました。
無事山頂に到着し周囲360度を見渡せるのには感動!
この感激があるから登山はやめられないと納得。
下山途中水上特有の洞窟の「氷筍」も初めて見ることが出来ました。
これは、洞窟などの天井からしたたり落ちた水滴が凍り、積み重なってたけのこ状の氷塊になったものだそうです。
途中持参の即席ラーメンで昼食をして往復3時間半の雨呼山コーススノーシューハイキングは無事終了。
またガイドさんにスノーシューの歩き方などの基本動作を習い冬場のウインタースポーツの楽しみが一つ増えました!
皆様にとって新年はどのように過ごされましたか。
我が家では、地元浅草神社でお祓いを受けおせち料理を食べて一年の健康を祝いましたが、我が家周辺でコロナ騒ぎがあり年明けから自宅待機を余儀なくされました。
東京でもコロナの感染者がまた増えています。
地元浅草でもコロナ以前のように観光者が戻りつつあるようで心中複雑です。
以前より冬場のXCスキー以外にスノーシューでのトレッキングに興味を持っていたので思い切って八甲田にスノーシュートレッキングに行って来ました。
上野から新幹線で八戸に行きバスにて「奥入瀬渓流ホテル」に宿泊しての二泊三日のプチ旅行です。
このホテルには以前東北一周を車で旅した際に宿泊して美味しい料理を食べた記憶があり今回もお世話になりました。
現在は星野リゾートが運営していてホテルも改装を重ねすっかりリゾートホテルになっていて台湾と韓国からの観光客で賑わっておりました。
時間指定のビュッフェレストランでは、地元の青森りんごをアレンジした料理を中心にしていて美味しくいただきました。
ロビーには「岡本太郎作の森の神話」と題する大きな暖炉がありこれを囲むようにしてソファーが設置されていて観光客がフリードリンクを片手にリラックスして楽しんでおりました。
ホテルから早朝にバスにて約70分あまりで八甲田のロープウエー駅に着きます。
レンタルでウエア一式とブーツ・スノーシューを借りロープウエーで山頂公園駅へ、山頂からは好天に恵まれ八甲田連峰を一望できスノーシューをはいて周辺の樹氷とパウダースノーを堪能いたしました。
計画ではおよそ3キロを一時間半でのトレッキングを予定しておりましたが、強風の為ロープウエーが急遽停止することとなり最終便には何とか間に合いましたが残念ながら今回は、1キロ未満のスノーシユートレッキングで終了いたしました。
それでもガイドさんにスノーシューの基本の動作などを教えてもらい次回に期待したいと思いました。
帰りは、八戸からの新幹線の時間まで少し余裕が合ったので観光センターで教えてもらった「櫛引八幡宮」に行き御社殿で参拝し国宝館で国宝の二つの鎧を鑑賞してきました。
兜も鎧も鎌倉時代末期の作で豪華な装飾において春日大社の兜・鎧と並び現存する甲冑の双璧とされているそうです。
年の初めからバタバタと過ごしてきましたが、今年も旅の予定が幾つかあり健康一番で日々感謝の念をもって過ごして行きたいと思っています。
今年もよろしくお願いいたします。
皆様もくれぐれ健康一番でお過ごしください。
すっかり冬ですね。
毎日の通勤散歩では、地元の浅草観音様境内も朝晩は、寒波の影響もあってか大変寒い日が続いています。
寒さを避けて早々と休みを取って初めて南国「宮古島」に行って来ました。
昨年末の京都に続いて家族全員での旅です。
特に我が家の女性陣の都合ですべての予定を合わせた旅です。
羽田からJALの直行便で約3時間半あまりで宮古島に着きます。
今回の宿は、プール付きの2ベットルームと和室・キッチン・リビングルーム・ランドリーなど有る長期滞在型のビィラです。
ほぼ専用の「わいわいビーチ」がすぐ近くにあり夏場は旅行者で賑わっていると思われます。
オフシーズンの為か人も少なくのんびり過ごすには最適の環境です。
プールサイドにあるハンモックに揺られてお空を見ながらビールをキューっと!与えられたフリータイムに乾杯です。感謝。
昼は、地元のそば屋さんの「古謝そば」でソーキそばを美味しくいただきました。
夕食は、島に有る「ドンキーホーテイ」で食材等を買い地元産の豚のしゃぶしゃぶを満喫しました。
夜は、たまたま「ワールドカップの決勝戦」が有りサッカー好きな長男は、TVにて応援。
私は、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が最終回だったのでTV鑑賞で夜を過ごしました。
ビィラには5泊しましたが女性陣は、スキューバダイビングやエステやプールで愉しみ、私はひたすら散歩と昼寝とおのおの自由に楽しんできました。
地元の陶芸教室で「シーサー」を手作りしたり、水中観光船で魚や海亀を見たり、また宮古島から伊良部島を結ぶ全長3540メートルの無料では日本最長の「伊良部大橋」を渡り伊良部島の代表的な景観地と言われている「浜口の浜」や「佐和田の浜」・「白鳥崎」を回ったり島観光を楽しみました。
全く観光客にも合うことも無く、心配になるくらいの旅でした。
丁度21日が私の72歳の誕生日でしたので、ビィラにシェフを呼んで地元の食材を使った料理を作ってもらい美味しいディナーを家族みんなで愉しみました。のんびりゆったりの「宮古島」でした。
沖縄本島には2泊したのですが、宮古島と違って那覇の車の多さには少し驚きました。特にレンタカーが多かったです。
宿泊は、那覇郊外の北谷に最近出来たリゾートホテルでした。
食事は施設エリア内にあるシーフードレストランやブラジルのシュラスコ料理店で楽しみました。
沖縄訪問は、4度目でしたが、お決まりの「美ら海水族館」ではジンベイザメやエイ類最大級のナンヨウマンタの優雅に泳ぐ姿に改めて感動いたしました。
また折角などで以前弊社が納品した海岸沿いに施工されているワイヤー防護柵の現場2カ所と空港の立体駐車場に施工されている壁面緑化現場も併せてチェックしてきました。
今年もあとわずかですが皆様はどのような日々を過ごされましたか。
コロナ禍も3年を迎え生活も環境も随分変化しました。
来年こそはより良い年になることを期待したいものです。
私は今年一年健康で本当に恵まれた一年を過ごさせてもらい感謝の一言です。
どうぞ皆様も良い年をお迎えください!
来年もよろしくお願いいたします。
ここ数日の寒さには寒さ暑さに弱い?私としては厚着で何とか乗り切る様にしております。
十月の屋久島に続き先月は、初めて高野山に行って来ました。
今年に入り四月の熊野古道、六月の伊勢神宮、そして高野参詣の旅が続き心休まる日々が続きました。
聖地高野山に向かう道は幾本もありますが、山に近づくにつれて合流、七つの道に集約されて山中に入りそのうち九度山の「慈尊院」から山上西口の「大門」へ通じる表参道を「町石道」と言います。
今回この「町石道」で「奥之院の弘法大師御廟」を目指しました。
「町石道」は、空海が開山のおり木製の「卒塔婆」(一町ごとに建てられおり180町石あります)を建てて道しるべとした山道で「奥之院」までおよそ23キロの道のりです。
聖地へと続く道しるべをたよりに山道をひたすら歩きます。
途中いくつものお堂や鳥居などを通り数回の休憩や昼食を取り「大門」までおよそ7時間半の道のりを終えました。
ちなみに車で行けば、およそ15分で着くとのことでした。
「大門」は、高野山一山の総門で山中随一の門でこれを目にした時は、山道達成感で思わず万歳をしたい気分でした。
「大門」を抜け高野山全体の中心をなす壇上伽藍エリアの「根本大塔」は、空海が開創され真言密教のシンボルとされる根本道場の建物です。
また伽藍の中央にある一山の総本堂の「金堂」で、高野山の主な行事はここで執り行われます。
「金剛峯寺」は、高野山真言宗の総本山で全国に約3600ヶ寺の末寺を有します。
今回宿泊は、金剛峯寺東隣の別格本山「總持院」という宿坊でした。
イメージで宿坊は、食事含めどんなもんかとの気持ちがありましたが精進料理もおいしく又早朝の法要も気が引き締まるひと時を過ごせました。
奥之院エリアの「一の橋」から「弘法大師御廟」までの約2キロの参道の両側には、樹齢数百年の杉の大樹とともに秀吉・信長・上杉・武田などの歴史に名を残す諸大名の墓地や供養塔などおよそ20万基が立ち並んでいます。
その中で豊臣秀吉の広いエリアの墓に比べて織田信長のお墓のこじんまりとしたそれが、やけに心に残りました。
すこし離れた場所にある「女人堂」では、毎月八日の午前九時の護摩祈祷に偶然出会へ良い経験が出来ました。
今回の「高野山参詣」で一応歴史探訪は、ひとまず無事終了と思いますが、カミさんは空海の真言宗を経験したので次回からは、天台宗の比叡山から延暦寺までの参道巡りを計画?しているようで今後どうなることやらです。
毎回カミさんのおかげでとても良い経験をさせてもらっています。
感謝の一言です。これからもお互い健康第一で過ごします。
すっかり秋の季節を感じる今日この頃です。
毎日の通勤散歩でも観音様境内の掃除の方々の落ち葉清掃姿も秋を感じさせています。
先月にスポーツジム通いをしてから通算1500回を数えました。
気が付けば足掛け23年も継続したことになります。
この間に体重が1.5キロウエストが3センチほど増えましたが、特に大病もせず、おおむね健康体を維持しています。
ありがたいことです。
先月は、予定通り世界自然遺産の島「屋久島」に3泊4日の旅に行って来ました。
25年ほど前に家族で屋久島に行った以来ですが、今回は夫婦だけで「黒味岳登山」が目的の旅です。
第一目標の「宮之浦岳」は、ガイドさんに70歳以上は御免なさいと言われ急遽予定を変更して二番目候補の「黒味岳」としました。
登山に年齢制限があるとは、少しショックでした。仕方ないかな。
初日は、早朝羽田から鹿児島に行きプロペラ機に乗り換えて屋久島空港でレンタカーを借り、まずは島内一周をしました。
途中ウミガメの産卵地で有名な真っ白な浜辺の「永田いなか浜」を通り、その先の細い山道には明治時代に建てられた教会調の「屋久島灯台」があり、青い海と空を一望できそれを背景に持参のコーヒーで一服。
海風がとても心地よかったです。
続いて道幅が狭くカーブの多い「西部林道」をのんびりドライブしながら次に島最大の滝で「日本の滝100選」にも選ばれている名瀑の「大川の滝」に寄りました。
落差88メートルもありながら滝壺のすぐ近くまで行け轟音や水しぶきを目前で感じることができ感激しました。
宿は和のこてーじ「仙の宿」で、久々の素泊まりの民宿です。
この宿の売りは、一棟だけですが今では大変貴重な屋久杉を手彫りした湯舟で風呂を愉しむことが出来、湯舟につかりながらビールを一杯、貴重な経験でした。
ちなみに他の棟は、五右衛門風呂でした。
夕食は、島でも評判の「panorama」で島の食材を使った料理で大変美味しくて滞在中二度もお邪魔してしまいました。
翌日は今回お願いした、イギリス人ガイドのスティーブさんと屋久島自然休養林「白谷地区」の「白谷雲水峡」に行きました。
白谷雲水峡は、以前にも行きましたが、今回はアップダウンが多く一周約4キロで約3時間かかり体力的にもきつい登山道がある「奉行杉コース」を歩きました。
奉行杉コースでは当然色々名付けられた屋久杉が点在していましたが、特に「苔むす森」は、いかにも屋久島のイメージ通リでした。
三日目は、いよいよ今回の目的「黒味岳登山」です。
9月の「燧岳登山」で登山の楽しみ?を味わってしまったので、つい欲が出たのかもしれません。
島の中央部分にそびえ立つ「宮之浦岳」と並ぶ奥岳の一つが標高1831メートルの「黒味岳」です。
登山道は、本格的な上級の登山コースとして人気があります。
見どころの一つが、「高盤岳」の頂に鎮座する「トーフ岩」で文字通り切った豆腐のような形をしたユニークな奇岩です。
黒味岳山頂は視界が360度開けた岩にあり宮之浦岳や永田岳が望め、思わずカミさんとバンザイをしてしまいました!
洋上アルプスを一望でき思い出に残る経験をさせてもらいました。
往復約9時間でしたが、ガイドさん曰く、3~40代の登山客よりおよそ40分オーバーで70代の我々にしては御の字とのことでしたが、今後の登山には年齢制限を考慮してお山を選ばねばならずそれが悩みどこです。
山頂近くでは、ロープを使っての登山でしたがこれもガイドさんにコツを教えてもらい今後の登山に生かせそうです。
最終日は宿で「仙人さんの箸づくり」を経験させてもらいました。
屋久杉をノミで削りマイ箸を作って良い思い出になりました。
おどろきは、焼酎の本坊酒造が屋久島にもありウイスキーを蒸留していたことです。
ウイスキー樽の貯蔵庫内を特別案内してもらい、記念のボトルも購入でき良いお土産になりました。
次回は、いつ行けるか分かりませんが、今回の訪問では屋久島に沢山思い出が出来ました。
健康と幸せの時間に感謝です!
秋晴れの心地よい季節となり毎日の通勤散歩での浅草寺境内もすっかり秋めいてきました。
皆様は、いかがお過ごしですか。
私の九月は、初旬の「越後妻有の大地の芸術祭」に始まり、銀座松屋での「イームズの正体展」や改装された国立西洋美術館の常設展・国立近代美術館の「ゲルハルト・リヒター展」そして東京都美術館の「フィン・ユールとデンマークの椅子展」とまさに美術の秋のシーズンを存分に楽しませてもらいました。
各館の展示内容に関しては、それぞれ素晴らしい内容でしたが、改装された西洋美術館は建設された当時の姿に戻され、設計者のル・コルビジュエの美術館での絵画の鑑賞手順の導線が良く分かりました。
また近代美術館でのリヒター展では、ドイツ出身の現代アートの巨匠のリヒターが祖国の負の歴史と向き合って描いた4枚の抽象画「ビルケナウ」がナチス強制収容所の蛮行を描いておりしばし絵画を見入ってしまいました。
都美術館のフィン・ユールとデンマークの椅子展は、デザイン大国のデンマークの1940年代から1960年代の歴史に残る優れた家具が多く展示され特に、彫刻のような椅子と称されている代表作の「イージーチェアNO.45」は、最高の曲線美を描いていました。
9月は、初めて本格的な登山にトライした月でもありました。
準備の為、登山の10日ほど前に足慣らしに「陣馬山~高尾山」約18キロ・6時間半を踏破してきました。
今回の目的の山は、東北・北海道エリアの最高峰で日本百名山である「燧ケ岳」です。
トレッキングは随分昔からしてきましたが、本格的な登山はまさに初心者で準備に靴とリックを新調いたしました。
初となる本格的な登山ですので安全を期してガイドさんをお願いしての二泊三日のスケジュールです。
初日は、生憎の天気で急遽予定を変更してあまりガイドさんも経験した事の無いという「尾瀬沼」一周約13キロを小雨の中でのトレッキングになりました。
大江湿原のモヤの中の草紅葉がとても絵になり大変奇麗でした。
翌日は晴天で早朝5時半に宿の「長蔵小屋」を出発し山頂を目指しました。
途中休憩の山道から望む尾瀬沼やガイドさんからの木々や高山植物の説明も息絶え絶えの私にはあまり耳に届きませんでした。
登山途中、案の定足がツツて踏ん張りがきかないこともありましたが、一緒に登っていたカミさんの手助けもあり無事に何とか山頂までたどり着けましたが、水分不足との指摘があり今後の反省点です。
標高2356メートル「燧ケ岳山頂」からの眺めは、尾瀬沼や周囲の山々の素晴らしい景色が一望出来て、一瞬疲れも和らぎました。
登山での醍醐味は、この達成感と山頂よりの展望のご褒美が再度登山を試みる原動力になるのかと一人納得いたしました。
しかし登山は、山頂まで登れば当然下りもあります。
くたくたの足にとってこの下りはある意味登りより過酷です。
下りは岩だらけの山道で前日降った雨の為、山道がヌカっていたり岩が滑りやすくなっていたりで何度も滑って尻もちをつきました。
私の前を歩いていたカミさんが足を滑らして数回転して転げ落ちたのにはドキモを抜かしましたが、ヨガをしていて身体が柔らかった事が幸いしてか軽い腕のねん挫で済んだことが救いでした。
下山途中の広沢田代に着いた頃は、草紅葉を見る余裕もありました。
初登山の「燧ケ岳」は、二泊三日約23キロ・21時間の私にとってはキツイ登山でしたが登山の楽しみを味わうのには十分な体験でした。
今月は凝りもせず、屋久島に登山に行く予定です。
どうなることやら。
毎朝の通勤散歩の観音様境内も少しずつ秋めいてきました。
見上げる空の雲も秋の季節の“うろこ雲”が見受けられます。
そんな季節に11月13日まで新潟県の十日町周辺で開催されている「越後妻有 大地の芸術祭2022」に行ってきました。
今年で8回目を迎える世界最大級のアートの祭典で全145日間という初のロングラン開催だそうで300点以上の作品が6エリアに点在しています。
2泊3日のアートの旅でしたが、越後妻有の里山全体が美術館となっており車かエリア別のバスツアーを利用するしかアート巡りは、できません。
芸術祭を巡る上で欠かせない「作品鑑賞パスポート」を購入して車にて各エリアを回ってきました。
新型コロナウイルスの感染予防の為、案内所や各作品受付で検温やマスク着用、体温確認が済むと「リストバンド」を配布していてこれがあると各施設での検温が不要になりました。
作品巡りでは、特に興味がある作品を中心に鑑賞してきました。
松代エリアでは、まつだい「農舞台」フィールドミュージアムの「松代城」の新作「憧れの展望」や「脱皮する時」が印象に残りました。
松代城山頂にそびえ立ち松代一帯を見渡せる「松代城」までは少し息を切らしながら登りました。
またTVのニュースでも紹介されていた、乗らなくなってしまつた主人のいない自転車に、新しい命を吹き込みたいとの思いから製作された「廻転する不在」は作品の自転車に乗ることもできました。
川西エリアでは、作品兼ゲストハウスにもなっている「光の館」が印象に残りました。
部屋の天井がスライドして空を眺められ移り行く雲を鑑賞できその変化に時間を忘れ楽しめました。
松之山エリアでは、樹齢約100年を超えるブナの木々が美しく立ち並ぶ「美人林」は、神秘的な森の空気を味わうことが出来ました。
また里山の自然をテーマにした「十日町市立里山科学館」は、越後松之山「森の学校」キョロロがあり高さ30mの展望台までの166段の階段を昇ればフィールドミュージアムを一望することが出来ました。
宿泊した松之山温泉は、日本三大薬湯の一つとして知られ薬効を求めて毎年多くの人が訪れる人気の保養地で宿の「白川屋」の料理は、味の宿らしく大変美味しかったです。
帰途の途中寄った日本三大峡谷で越後妻有を代表する名所の一つの「清津狭渓谷トンネル」は人気の施設でシーズン中は駐車場が一杯になるほどの人気スポットです。
全長750mのトンネル通路をぬけるとパノラマステーション「ライトケープ(光の洞窟)」があり清津狭の景観を反転して映す「水盤鏡」が幻想的な眺めを作り出し風景と一体化した空間を体験でき写真撮りの為の順番待ちが続いていました。
旅とアートの祭りの「大地の芸術祭」初めての訪問でしたが、まさにプライスレスの思い出作りの旅になりました。
会場を回るのに完全予約制のバスツアーを申し込むかレンタカーなどの車を使うしかなく事前の準備が必要なアートの旅です。
8月に入ってからもコロナウイルスの第7波による感染者数は、各地で過去最高となっています。
増加のペースは緩やかになってきてはいますが、お盆連休を控え特に若者たちの感染者数の増加が心配です。
かかりつけの医者からは4回目のワクチン接種は少し様子を見たらと言われていましたが、出かけることが色々あるので先日接種を済ませました。
丁度家族全員のスケジュールが合ったので、東京の混雑を避けて連休前に「尾瀬」へハイキング行くことにしました。
子供たちが5歳と3歳の時に行ってから全員で行くこともなく34年ぶりの「尾瀬」への家族ハイキングです。
この間長男は結婚しましたので全5名での尾瀬ハイクです。
それぞれの仕事の合間でのスケジュール調整は思いのほか難しくやっと行くことができました。
地元浅草から「尾瀬夜行23・45」に乗り早朝の尾瀬を楽しむことができる一泊二日のプランです。
明け方の会津高原尾瀬口駅からバスに乗り「尾瀬御池」へ、そこからいよいよ一日目の尾瀬ハイクが始まります。
一般の尾瀬のイメージは「尾瀬ヶ原」の湿原のイメージが強いのですが、湿原までの林道の随所にある岩場のアップダウンは、かなりの体力を要求いたします。
初日の目玉「三条ノ滝」は、尾瀬の只見川の本流を一気に落とし込む高さ100m、幅30mの尾瀬最大の大幕布です。見ごたえ有です。
一日目の宿は、見晴にある「尾瀬小屋」です。一日目はおよそ12キロの距離歩数は、2・1万歩でしたが平地より岩場の上り下りがキツかったのでフクラハギが張りっぱなしになりました。
それでも日頃のジム通いの成果も多少はあるとは思いますが・・・
二日目は尾瀬沼経由で沼山までの約12キロです。
「尾瀬沼」に続く「大江湿原」は、まさに尾瀬のイメージそのものの景観でまっすぐに伸びる木道に癒されます。
尾瀬小屋滞在中にハイカーが捻挫をしたらしくレスキューヘリで搬送されるのを目の当たりいたしました。
ヘリのホバリングの音の大きさに驚きました。
ハイクでのケガは命取りです。
沼山からバスで道の駅「尾瀬桧枝岐」に行き付帯施設の温泉で日帰り湯につかり身体をほぐし、再度バスに揺られ会津高原尾瀬駅から浅草に戻ってきました。
当たり前ですが32年の歳月は、長男との体力差を思いしらされる結果となりましたが、体力の現状維持の目標が出来てよかったです。
それにしても我が家の女性陣のガッツには改めて驚かされました!
梅雨明け宣言が出たにもかかわらず、最近の天気は台風の接近の為か天候が不安定な日々が続いております。
台風の接近で気圧が下がるせいか私も身体に今一つ「切れ」がないように感じます。
古希を迎えてから今まで以上に体調管理を怠りなく日々過ごしており23年間極力週二回のスポーツジム通いを続けています。
ジムでは、月一度「体組成測定」をしておりデーターではありますが毎月の身体の変化を自分なりにチエックしています。
私は、例年夏場に体重がおよそ1.5キロほど減り秋口にまた体重が戻る体質です。
今年も例年通り体重がおよそ1.5キロほで減りました。
体重以外では筋肉量や骨量はあまり変化がありませんでしたが、体脂肪率は今まで10%前後で推移していましたが6月に8.6%になり7月には7%に下がりました、それに伴い腹部脂肪と内臓脂肪レベルも減りBMI値も適正値を割り込みました。
私は決して健康オタクではないのですが、どうも最近の身体に「切れ」がないと感じるのも体組成測定結果の数値が示しているように体脂肪量が減少したのも原因の一つかと思います。
ジムのインストラクターに相談したところ体脂肪を減らしたい方は、多いが増やしたい方はあまりいないとの事で食生活において根菜類を増やしたり糖質含む食べ物を少し増やして様子を見たらとのアドバイスを受けました。
日々の通勤散歩で自宅から会社まで片道約3キロ、往復6キロでおよそ8千歩+です。
約一日一万の歩数と週に二回のスポーツジム通いで体調を整え、およそ二か月に一度のアウトドアのトレッキングに備えるのが私流の健康法となっております。
古希を迎えた70歳からの10年が健康寿命を延ばす大事な時期との事ですので私もマイペースで人に迷惑をかけずに日々過ごす事を心がけてこれからも生活して行きたいと思っております。
皆様も健康第一で日々お過ごしください。
コロナ禍も次第に収まりつつあるのか地元浅草の人出も大変多くなってきました。
そんな中、我が家の日頃忙しい女性陣が静寂を求めて以前癒された「伊勢神宮参拝と蒲郡クラッシックホテル宿泊」を海外からの観光客が増える前に行くことを計画し私にも同行するかの話がありました。
現在セミリタイア状態の身ですのでイエスと即答いたしました。
「伊勢神宮」は、数年前に当時参加していた社団法人のメンバー達と参拝した事がありましたが、プライベートでは初めてです。
東京から名古屋経由で伊勢に入り「伊勢神宮」の豊受大神宮(外宮)より参拝に入りました。
天気も良く人出も思ったより少なくのんびり「正宮」を参拝できました。
途中「おはらい町」をぶらぶら散策し「おかげ横丁」で伊勢名物の赤福餅を頂きました。
「伊勢神宮」と言えば1300年にわたって続けられる我が国最大の祭典である「式典遷宮」が有名です。
神宮で最も重要なお祭り「神宮式典遷宮」は、20年に一度、「正宮」に隣接する御所敷地に「新宮」を建て、天照大神に御遷りいただくお祭りです。
その準備には8年の歳月をかけ神殿などをすべて古式のまま新しく調え納めます。
それらの詳細は、資料館の「せんぐう館」で知ることができます。
翌日は、人気が少ない早朝5時頃から静寂に満ちた皇大神宮(内宮)に参拝に行きました。
五十鈴川にかかる「宇治橋」を渡り「五十鈴川御手洗場」で参拝前に心身を清めてから「正宮」にゆっくりと参拝いたしました。
「内宮」の参道は、生命エネルギーの「気」を感じる不思議な環境で心身とも安らぎを覚えました。
日頃からストレスを感じている方には、ぜひ「伊勢神宮」に参拝することをお勧めいたします。
宿は、この日の為に内宮近くの「伊久」です。
以前女性陣が内宮に近く早朝より参拝するのに便利で食事もおいしい人気の宿だとのことで早くから予約を入れてました。
翌日は、日本クラッシックホテルの会のメンバー「蒲郡クラッシックホテル」に宿泊しました。
建物は、開業が1934年の景観重要建造物で「近代化産業遺産」に経産省から認定され歴史的価値も認められ外観は華麗で内装も格調高いアールデコ様式で一見の価値があります。
ディナーは、前回宿泊した際に気に入った「六角堂」で頂きました。
黒毛和牛のステーキをオーダーしましたが、今回なぜかメニュー落ちしていたブイヤベースを特別に料理してもらい満足の一日でした。
今月から海外の団体旅行客が来日するとのことですので、混雑する前に人気スポットは早めに行くようにしたいものです。
地元浅草の賑わいは、ゴールデンウイークより少し前から人出の多さは感じていましたが、連休中TV等で紹介されることも増えたせいか誰の目にも大混雑の様子を呈しておりました。
地元民としては、正直連休明けのコロナウイルス感染者の激増が大変心配です。
通勤散歩の浅草寺境内で掃除をされている方々に話を聞いてもゴールデン期間中は、境内のゴミ等は日々増加していたとのことでした。
私は、ゴールデンウイーク期間を避け先月23日から26日まで以前より念願の紀伊山地の霊場と参詣道の一部として世界遺産に登録されている「熊野古道」にトレッキングに行ってきました。
「熊野古道」にはいくつかの参詣道がありますが今回の旅は、昔より最も多くの参詣者が歩いたとされる「中辺路」と呼ばれ「蟻の熊野詣」と例えられるほど多くの人々が歩いた古道を歩きました。
1日目は、東京から空路で南紀白浜に入り栗栖川バス停より「熊野古道中辺路」へ入り近露までの約16キロの山道のトレッキングでした。
深い森の新緑に輝く木々や川の流れなどの雄大な自然の中に石畳の道が続いており以前訪問した同じく世界遺産のNZのミルフォードサウンドのトレッキングコースを思い出しました。
宿泊した民宿は、家族経営のアットホームなもてなしで地元の食材を使用した料理や滑らかな天然温泉で満足行くものでした。
私たち以外の宿泊者は一組で、コロナの影響が山里離れた旅の宿にも大変影響していることを強く感じました。
参詣客が少ないせいか読売TVのインタビューを受け後日数分放送されたようでした。
2日目は、朝から生憎の雨降りで急遽予定を変更し滑りやすい山道を避けバスにてショートカットして雨の中の古道をのんびり楽しみながら「熊野三山」の一つで全国の熊野神社の総本山「熊野本宮大社」までの約12キロのトレッキングでした。
境内にはJリーグでも有名な足が三本あり目標達成や勝利への幸運をもたらしてくれる「八咫烏」の石像がありました。
トレッキングの途中でもすれ違ったトレッカーは、たった一人でしたが雨模様のせいか本宮大社でも参拝者は、驚くほど少なかったので神殿内の参拝順序通りゆっくりと参拝できました。
また大社旧社地の「大斎原」にある高さ約34m幅約42mの「大鳥居」は圧巻の一言でした。
宿泊は「湯の峰温泉」の宿で温泉と食事を堪能いたしました。
3日目は、旅の締めくくりで残り三山の二つ「熊野速玉大社」と「熊野那智大社」と最後に「那智の滝」を目指しました。
途中参拝した「神倉神社」の頂上にあるご神体の「コトビキ岩」まで石段が538段あり、垂直に近いほどの急傾斜で登るのも大変でしたが、下りは崖から転げ落ちるような感覚で転倒しそうで怖かったです。
最終日は、およそ10キロの道のりで、「熊野古道」3日間計約40キロの参道や鎌倉積石階段等を無事に終えることができました。
初めて歩いた「熊野古道」は、予想以上に楽しめた古道歩きの旅で機会を作り途中パスした参道を次回歩きたいと思って居ります。
健康のありがたさを感じる想い出に残るプチ旅行を楽しみました。
連休を避けてのプチ旅行は、混雑もなく楽しめますのでお勧めです。
最終日には、天候の悪化で予定便が欠航し急遽新幹線に変更しましたが、新大阪までの最終特急出発まで3分!というハプニングも良い想い出になりました。
毎朝の散歩通勤での浅草寺境内の桜もそろそろ葉桜になりそうです。
あふれでる春の陽気に朝の散歩通勤も一日の始まりをより楽しくさせてもらっております。
今月も先月に続きテレビなどのニュースは、ロシアのウクライナ侵攻とそれに伴う対ロシア制裁そして新型コロナウイルス感染の再拡大を受けて上海など中国で再び実施されているロックダウンや解除後の日本国内のウイルス感染者数の増加など暗い話題で気が重くなります。
そんな中気分転換を兼ねて現在開催されている美人画の二大巨匠の展覧会に足を運びました。
一人目の巨匠展は、「東京国立近代美術館」で開催中の「没後50年 鏑木清方展」です。
パンフレットにもある様に「なんでもない一瞬が、なによりも美しい。」又「今を生きるあなたに見てほしい。」との言葉通りの鏑木清方の美人画展でした。
三年前に再発見され、その際に鑑賞させてもらった代表作の三部作「築地明石町」「新富町」「浜町川岸」とも再会できました。
個人的に清方が描く美人画が好きで、鎌倉にある清方の自宅跡の「鏑木清方記念美術館」には鎌倉に行くたびに何度も訪れております。
美人画でのもう一人の巨匠は「山種美術館」で開館55周年記念特別展として開催中の「上村松園展」です。
上村松園は、「西の松園、東の清方」とうたわれ、清方と同時期に美人画の大家として活躍した女流画家です。
松園は、生涯にわたり気品に満ちた女性像を描いて京都画壇で活躍し昭和23年に、女性として初めて文化勲章を受章し美人画の世界に新境地を開きました。
展覧会では、特に「新蛍」と「春芳」の美人画に心惹かれました。
今展示会ではお目にかかれませんでしたが、代表作で重要文化財に指定された「序の舞」も修復後拝見した際に思っていた以上の大作だったと記憶しており、機会があれば是非とも再会したいと思います。
期せずして桜の季節に同時に美人画の二大巨匠展に行けて良い想い出となりました。
東京も解除明けから又新型コロナウイルスの感染者数が増加しだし先行き不安な日々が続きますが、皆様ともお互いに体調管理怠りなく楽しく日々過ごせるようにいたしましょう!
今年もあっという間に弥生、三月になりました。
この時期私は、人間ドックを受けて体調管理を心がけたり、年内の旅行計画を立てたりして日々楽しんでおりました。
しかし今年は先月の24日に起こったロシアによるウクライナ侵攻のニュースで改めて日本を取り巻く世界情勢を考える時間を持ちました。
ロシアのウクライナ侵攻により欧米諸国はロシアに対し強力な経済制裁の実施とスポーツ等の参加停止を決議しています。
ロシアの軍事的侵攻によりウクライナの軍事施設ばかりか民間の施設や民間人までもが打撃を受けており、この時代ならの「サイバー戦争」も呈しているようです。
しかしこの侵攻に対しロシア国内でも各地で「戦争反対」を訴える抗議活動が続いているようです。
プーチン政府と国民が必ずしも一枚板ではないことが幸いです。
個人的には、ロシアのウクライナ侵攻と中国における台湾有事をどうしても並列で考えてしまいます。
今回の件でもし後者が起こるとした際の日本に対する欧米の動きが大変気になりました。
日本からのウクライナに対しての寄付金が6万件を超え20億円超となることや楽天グループの三木谷氏が個人で10億円を寄付するなど復興に莫大な費用が掛かることを考え世界中からの援助が増えてゆく事と思います。
戦争からは何も生まれません、一日も早く平和が訪れることを切に祈っております。
私個人としては毎月のつたないブログでは出来るだけ政治や宗教の事は避けてきたつもりですが今回はどうしても思いを伝いたくて、あくまでも個人の考えです。
最後までお読みいただき感謝です。
次回は楽しいブログになる様に!
毎朝の通勤散歩のお決まりコースの浅草寺境内にある淡島堂の梅の花が早くも咲き始めました。
あっという間に一月も過ぎ3日には新型コロナウイルスの新規感染者数も全国で初めて10万人を超えてしまいました。
これで流行当初から累計では300万人に達したようです。
東京都も「まん延防止等重点措置」を適用し適用対象は35都道府県に拡大しました。
こうした状況ですから私もワクチン接種を早めにしたかったので、役所からの接種券が届いてから早速申し込み、一昨日、モデルナ製ワクチンで接種してきました。
2回目までは、ファイザー製ワクチンで接種いたしましたが、ファイザー製の接種希望者が多く私は早期に接種可能なモデルナ製を選択しました。
3回目でもあり役所も効率よく接種を進めていましたが、高齢者の中には事前の対応準備が悪く受付での接種券の書き込みや接種時に洋服を脱ぎ始めるなどの方が多くいて、これらの方々を見ていらだつ高齢者の方々も多く見受けられました。
接種当日は接種ヵ所の痛みや体のだるさはあまり感じませんでしたが、翌日は少しだるさを感じ活動を控えました。
先行きの見通しが立ちにくいこの新型コロナウイルスですが各自がより3蜜を避けマスクの着用や手洗いうがいを徹底し生活することで少しでも感染リスクを避けましょう!
これからも変異株のオミクロン株による流行の拡大による医療体制や社会機能に深刻な影響が及んでいることが大変心配です。
新年あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。
例年「年賀はがき」によるご挨拶を行っておりましたが、社会情勢もあり今年からネットでのご挨拶に代えさせていただきました。
昨年もコロナ禍で友人達と接する機会が減り、人と会うことでパワーアップする性格である私にはつらい一年となりました。
また経済も落ち込み今一つ盛り上がりに欠ける一年でした。
年末は、家族で「京都」を中心に比較的空いている神社巡りと美味しい料理を楽しませてもらいました。
唯一なぜか家族の中でお酒が一番弱い私にとって「伏見」の酒蔵巡りのみは少し時間がきつかった。
年明けの地元「浅草寺」周辺の賑わいは、昨年に比べ人出の多さに新型コロナウイルスの影響が大いに心配でしたが、案の定新型のオミクロン株が急拡大し沖縄では新規感染者が急増して第6波に突入した模様です。
一方米国内の新型コロナウイルスの新規感染者数が一日当たり100万人を超えたとの発表があり過去最多を更新しました、とても日本では考えられない数字です。
既に新型コロナウイルスによる死者数が、アメリカ最大の戦争である「南北戦争」の死者数(推定62万から75万人)を超えています。
これはワクチン接種の分極化のようで連邦主義のアメリカでは北東部の州に比べ南部州の接種率が低く感染対応が難しいようです。
それにしても日本では米国のような感染爆発はしていません。
ワクチン接種率があまり違わない日本と米国でこれ程の違いの理由の一つが理化学研究所の発表による「日本人の約6割にある白血球の型を持つ人は、コロナウイルスへの交差免疫がある」との事です。
またそれ以上に専門家が有力というのが「サージカル不織布マスク」だそうです。
国民の多くがコロナへの免疫力がある上に常にマスクを着用しているので、感染を低水準に抑えています、欧米ではマスクの着用が上手くできておらず、また「ウレタン製マスク」などが多いようです。
日本ではこれから3回目のワクチン接種が始まりより重症化を未然に防ぐと思われます、これに加え常に「マスク着用と手洗い・うがい」を心がける事により感染拡大を防ぎ医療従事者の負担を軽減化することに繋げましょう!
やはり欧米と比べ感染率が低いのは、国民性によるところですかね。
朝晩の冷え込みが身に染みる季節になりました。
通勤散歩の地元浅草の観音様境内の木々も少しづつ冬支度を始めているようで落ち葉が目立ち始めました。
久し振りに紅葉の箱根地を訪ねてきました。
宿は定宿「箱根富士屋ホテル」昨年のリニュアル後の宿泊以来の訪問です。
一見耐震補強工事後も以前と変わらないようですが構造的には新築と同じで大工事でした。
常連客?の為か毎回ありがたいことに部屋は、アップグレードされて今回も「花御殿」でした。
午前中は、「ポーラ美術館」での絵画鑑賞と庭園の「森の遊歩道」を40分ほど散策し、美しい自然と共存する彫刻作品に心癒されました。
宿の楽しみは温泉と食事ですが、最近宿での夕食は、フルコース料理では食べきれずにすべてアラカルトメニューから選んでいます。
富士屋ホテルでの私のお気に入り料理は、シーザーサラダとコンソメスープです。メインは肉か魚かその時の気分で選んでいます。
コース料理では、このお気に入りのコンソメスープが少量ですが、アラカルトでは好きな量をボールに入れてもらえます。
改装後お風呂が広くなり近代的なホテルと変わらなくなり、よりリラックスできるようになりました。
特に「花御殿」の部屋は天高が高くて快適に過ごせます。
持参のモルトウイスキーをジンジャエールで割る最近お気に入りのウイスキーカクテルを楽しみ、のんびり過ごさせてもらいました。
翌日の朝食は、別棟の和食料理の「菊華荘」で朝粥料理を楽しみました。
こちらでの食事は、ごはんでなく朝粥がお薦めです。
帰途は東名高速道路が工事中とのことで、小田原経由にして久しぶりに老舗料理店で建物が国登録文化財に指定されている「だるま」で鯵寿司と天丼・お刺身を美味しく頂いてきました。
往復約250キロの「箱根」は、我が家では美術館めぐりと散策と美味しい料理を楽しみ、アウトドアで季節ごとのトレッキングと冬場のXCスキーを楽しむ「日光」との近場二カ所が昔から我が家のお気に入りのエリアとなっています。
コロナ禍の今、3蜜に気を付けて人に迷惑をかけることなくこれからも人生を楽しんで行こうと思っております。
それには健康一番ですが。
週明けの今日の朝は、上空に寒気が残り、晴れて放射冷却が効いた影響で冷え込みが強まり地元浅草の観音様境内でも一番の寒い朝でした。
宣言解除後、延び延びになっていたこの時期我が家で慣例?の「上高地」にようやく行ってきました。
緊急事態宣言が全面解除され秋晴れも手伝ってか上高地も過去7度の訪問でも経験したことのない人出でした。
おなじみの大正池や河童橋にも早朝から人出も多く、特に徳澤のキャンプ場でのカラフルなテントの多さにはビックリいたしました。
定宿の「上高地帝国ホテル」では、東京からの応援で来ていた「オールドインペリアルバー」のチーフバーテンダーとも知り合い東京での楽しみが増えました。
二泊三日で上高地周辺を山手線一周相当の36キロのトレッキングを楽しみました。次回は涸沢を目指そうと思います!
キャッチフレーズの「上高地で大きく深呼吸!」でリフレッシュ、やはり都会育ちには、自然が一番の薬です。
今月は、もう一つの薬がありました。
以前より訪問したかった、小田原文化財団「江之浦測候所」にも行くことができました。
知り合いの建築家から予定していたメンバーが急遽キャンセルになり良かったら一緒に行く?の一声での参加です。
完全予約制の為、中々予定が合わず訪問が延び延びになっていた待望の施設です。
財団設立者の「杉本博司」さんのアートに対する意向や趣旨が反映され、正に氏のこだわりの塊のような見ごたえのある施設でした。
施設内は、安全に楽しむ為に注意事項が色々ありますがこれも氏の意向に沿ったものばかりでした。
「江之浦測候所」のロケイションは、箱根外輪山を背にして相模湾を望みこの自然を借景にして室町時代や飛鳥・天平時代などの移築建築と作庭は構成されていました。
地震後のプチ旅行でしたので電車の遅れに悩まされましたが、無事無人の根府川駅からシャトルバスで待望の施設にも行け良い思い出となりました。
次回は、春分や夏至などの日の出をぜひ施設で見たいと思いました。
「東京2020オリンピック・パラリンピック」も何とか無事終了いたしました。
大会完遂は、「日本の総力の結集と試行錯誤の結果」と言われています。
大会には、コロナ感染対策費が政府809億、都400億の予算の追加があり終了後の巨額赤字が心配です。
コロナ禍の中で困難を乗り越えて行われたこの「東京2020オリンピック・パラリンピック」は、人々に勇気と感動を与えた大会として成功したと記憶されるだろうとIOCは記しているとか。
私個人としては、より感動したのはパラリンピックのパラアスリートの活躍した姿でした。
もし自分ならあそこまでの精神力があるだろうかと。
人ってその気になれば不可能な事はない!と感激し又世界中の人々に勇気と感動を届けたと思います。
足掛け二年にわたるコロナ禍で戻るべき普通の世の中が見えなくなりつつありますが、仲間内では不自由なく食事してお酒が飲めるような時期が来るまで辛抱しましょう!とメールなどで慰め会っている状況です。
ほとんどの友人たちは既に高齢者に属しワクチンを二度打っているので意外とこの現状をラフに捉えているようで、自分達で経済を回さねばとマジで考えている模様で、すでに複数人で会食等を始めております。
あきれるばかりです。
そんな折、最近サントリーホールディングスの新浪社長が「45歳定年制」の導入についての提言したことが波紋を呼んでいます。
経済評論家が指摘しているように、これは、「定年」という言葉がビジネスパーソンにとっては、「期限を決められて職を失う時」と解釈されているからで「定年」という言葉の使い方が誤解を生じたようです。
新浪社長は、「45歳から準備をしなさい」とでなく、「ビジネスパーソンたる者は、45歳から新たなスタートが切れるように、20代、30代の頃からスキルアップの準備や勉強を重ねて備えておこう」との趣旨からの発言で「定年」の言葉が独り歩きしたとのことです。
確かに、45歳くらいで過去のビジネス経験を生かしつつ、起業したり、スタートアップ企業に身を投じる人達が現れるなら、欧米やアジアの中でも遅れを取っている日本経済界に一石を投じ刺激を与える素晴しい事ですし、またその結果本人にも幸せが来る場合があるかもしれません。
私個人の場合も35歳で起業し多くの方々の協力を得て今日まで何とか会社を継続させて頂いており心底感謝の念を持ちつつ、少しでも社会のお役に立てるモノをと考えオリジナル製品を市場に送り出しております。
しかし世の中の大半のビジネスパーソンが起業などの意欲や野心を持ってはいないだろうし、その機会に恵まれているわけではありません。
私も今日が来るまでは家族の協力や友人たちの紹介やアドバイスなしには到底ここまでとてもこられなかったと思います。
「成功の陰に努力有り」事を御成し遂げるためには目に見えない苦労を伴いますが信念を持ち努力を継続してゆけば「道は開ける」ものとの実感を持っております。
それにしてもコロナの先行きがどうなるのかとても心配です。
部屋ごもりから早く脱出して気兼ねなくトレッキング等に行きたいと念じております。
ここ数日大雨警報が発令され東京でも連日豪雨が続いていました。
お盆休みの最中はステイホームを続け掃除と部屋の整頓と音楽三昧の日々を過ごしましたが、やはり人と会えず飲食店にも行けず少し気分が滅入っております。
皆様はどのように過ごされましたか。
新型コロナウイルスの影響で史上初めて開催が一年延期となるなど開催前から大会開催について賛否両論があった「東京オリンピック」も何とか無事に閉会し日本は、過去最多の27個の金メダルなど史上最多の58個のメダルを獲得しメダルラッシュに沸きました。
残念ながら開催前にIOCのコーツ氏が述べていた「日本の世論は、メダルラッシュでコロット変わる」との予言が的中しました。
一方で開催期間中も新型コロナウイルスの感染が拡大し続けました。
世界の感染者総数も2億793万人を超え死亡者総数も437万人を超えた模様です。
東京都も「緊急事態宣言」が発令され連日感染者数もかってないほどの速度で感染拡大が進み新規陽性者数が急増し制御不能の状況です。
既に災害時で「自分の身は自分で守る」状態です。
新型コロナウイルスの感染は、年齢が高い人ほど危険な病気です。
データによると65歳以上では、ワクチン接種を二回すると致死率は四分の一以下に下がるとのことですが、新型コロナに感染しないわけではなく死亡率を大きく下げる効果はあると思われます。
現在東京でも感染すると病院に入院することが難しい状況になっており、感染者のおよそ85%の方が「自宅療養」することになり家族の不安と負担が増加している模様です。
私も2回のワクチン接種はすでに完了しておりますが、あらためて新型コロナウイルスに感染しないことを目標に3蜜を避け日々予防に努めたいと思います。
来週からパラリンピックも開催されるようですが、開催中の新型コロナウイルスの感染拡大が今から大変心配です。
皆様もくれぐれもお気御付けください。
毎日の通勤散歩もここ数日の蒸し暑さで、家から会社までの道中約3キロ4千歩も汗っかきの私にとって特にコロナ対応のマスクのせいも有り体力の消耗がだんだん激しくなっております。
コロナウイルスによる世界全体で確認された感染者数も1億8836万人を超え死亡者総数も405万8千人を超えたようです。
ファイザー製ワクチン接種も無事?二度目も終了し尚且つ二週間の経過も過ぎ今のところ特に大きな変化もなく日々過ごしております。
四度目の緊急事態宣言でコロナ対策の担当大臣による飲食店に対しての金融機関や酒販売事業者への酒類の供給停止協力依頼は、まさに飲食店ハラスメントにほかなりりませんし翌日の依頼解除も当たり前です。
これは担当大臣単独での決定とはとても思われません。
国民は、政府の場当たり的なコロナ対策には正直うんざりしているのではありませんでしょうか。
コロナによる観光客の減少などにより、地元浅草の創業140余年のすき焼きの老舗である「ちんや」が8月15日で閉店することになりました。
創業140年の老舗ですよ、大変残念です。
明治の初めから文明開化の象徴だったすき焼き屋さんでした。
世界に蔓延するコロナウイルスにより史上例のない一年延期された「東京五輪」も開催までカウントダウンとなりました。
IOCやスポンサー企業などの絡みもあり結局中止に出来ずにすったもんだの挙句に異例の無観客での開催です。
コロナに振り回された政府の緊急事態への対処能力を見ると、先行きもとても不安に思います。
これらは、決定を先延ばしにして適切に意思決定できないリーダーを頂くとこの様に社会全体が大いに迷惑することの好例です。
以前より指摘されてはいましたが、オリパラスポーツが巨大なビジネスイベントであり、元締めのIOCが巨額の放送権料を手にする「五輪貴族」であり、開催国の政府にとってもオリパラの開催地のインフラ工事などやスポンサー企業の需要拡大効果が期待でき、経済を好景気に導くツールにしているように思われてなりません。
国民に我慢を強いり五輪開催を無事成功に導き来る選挙を有利に導こうとする政府与党に大いに違和感を覚えます。
4年に一度の五輪を目標に日々頑張っているアスリートの想いをストレートに受け止め、みんなで一緒に楽しみながら応援し思い出に残るオリパラにしたいものです。
ようやく東京も梅雨入りとなりました。
例年この時期になると紫陽花で季節を感じますが、今年の紫陽花は今ひとっ元気がないように思えてなりません。
これもコロナ禍での私の気持ちのせいでしょうか。
新型コロナウイルスの感染者数も世界全体で1億7627万人を超え死亡者総数も381万人を超えたようで、それに伴い新規に変異株の感染者も増加しているようです。
私も先日一回目のワクチン接種を終え来週には二回目の接種をする予定です。
私の住む台東区では、役所が万全の態勢で接種を行っており手際よく短時間で終了いたしました。
そんな中私の遊びの一環である「隠れ家バー」の大掃除を二十数年ぶりにいたしました。
コロナ禍での開店休業?状態での大掃除です。
お客さん?が来ないのを幸いに暫くの間ほっといたので荒れ放題?でしたが、コロナ明けの再開店時の事を考慮して、思い切って劣化したと思われるウイスキーなど約50数本はラベルを写メ後破棄し、冷蔵庫と電子レンジを入れ替え、床に散乱していたウイスキーを新規に設置した棚とキャビネットに移してマスター?が移動しやすくいたしました。
何時しかばらばらに置いていあったボトルも5大産地別に移したりスコッチのモルトウイスキーも生産エリア別に分けお客さん?のオーダーにも迅速に応えられるようにいたしました。
開店?当初はマスター?もマメに女性客にはいきなりのハードリカーのウイスキーでなくカクテルなどをお出ししていたのですが冷蔵庫を壊してからジンやラム・ウオッカなどを冷やしておけずまたシングルモルト目当てのお客さんが増えたのを幸いに手間のかかるカクテルをいつしかお出ししなくなりました。
時間経過と開店休業状態が続いたのでこの際「初心に帰り」定番のカクテルやオリジナルカクテルなどにも挑戦することにいたしました。
常連客達?がまた来るようになったら色々と相談して進めたいと思っております。
また最近流行りだしたカセットテープやLPレコードも聴けるようにオーディオもグライコをセットし直したり新旧のスピーカーを切り替えて聴けるようにしたりも致しました。
コロナ禍で行きつけの飲食店やバーに思うように行けない方たちにもまた楽しんでもらえるように万全の状態を目指し日々励んで?おります。
こんな時期には少しでも心に遊びの余裕を持ってもらえるように、ストレスを抱えながら一線で仕事に励んでいる常連客達?に少しでも憩いの場を提供できればと思っております。
コロナ禍が少しずつ終焉を迎えた頃にお客さん達との再会を今から楽しみにしております。
奇麗になった「隠れ家バー」で乾杯しましょう!
いよいよ「梅雨入り」の情報が入り始まりました。
何やら全国的に例年よりは早まりそうです。
相変わらず新型コロナウイルスの猛威は続いており、直近の情報で世界での感染者数は、約1億6千2百万人、死者数は、331万人に上っています。
私は、先月東京で緊急事態宣言が発令される前に以前から延期を続けていた香川県の直島と高松へそ~っと観光に行ってきました。
以前行った直島は、残念ながら予約が取れずに断念した「ベネッセハウス」の宿泊と予約制の「地中美術館」の訪問が主な目的です。
前回の訪問時に島に点在していた主なアート作品は見学鑑賞したので、今回は「自然・建築・アートの共生」をコンセプトにした美術館とホテルが一体となった施設を中心に堪能してきました。
施設は、1992年に安藤忠雄氏の設計により経年とともに瀬戸内海国立公園の環境に溶け込むように構成されています。
施設案内書にもありましたが、長いスロープや階段、通路による移動、切り取られた開口部から注ぎ込む外光など、施設内外の現代アートを身体全体で感じられる工夫が随所になされていました。
施設内のレストランは、地元産の食材を生かした工夫がなされ美味しくいただけました。
特にレストランで使用されていた地元産のオリーブオイルと塩が良かったのでお土産に買い込んできました。
時期的かもしれませんが宿泊者が大変少なく特に予約制の地中海美術館やベネッセハウスミュージアムは広い館内が貸し切り状態で学芸員の方とも色々話ができ満足の滞在でしたが、こんなに見学者がいない美術館は国内国外でも初めての経験でした。
ベネッセですから大丈夫でしょうが、今後の運営に不安を覚えたほどでした。
又「リーウーハン美術館」は、安藤の設計した広場に18.5メーターの六角形のコンクリートの柱を立てぴんと張りつめた空間を現出させることを意図したアートで絵画や彫刻も素晴らしい作家さんで静かに思索する時間を与えてくれる直島ならの美術館でした。
二泊目の高松市内にある「オーベルジュ ドウ オオイシ」では折角なので瀬戸内海に面したテラスと屋上デッキ付きの106平米の部屋にしました。
特に「瀬戸内海に沈む夕陽」を見ながら飲むスカイ島産の「タリスカー」ウイスキーは最高においしく夕陽とともに最高の想い出になりました。
シェフのお任せの料理も地元食材を生かしまたインテリアともマッチした最高の雰囲気でまたお邪魔したいオーベルジュでした。
帰途の途中に寄らせてもらった、「栗林公園」や「金毘羅山」もあまりにも観光客がいないので心配になるほどでした。
特に「金刀比羅宮」の奥社までも本当に観光客がいなく、まるでゴーストタウンに迷い込んだようで、奥社まで1368段の階段でもすれ違う参拝者も数えるほどの人数でした。施設内の記念館内では弊社のワイヤーハンガーにて作品が展示されおり少し嬉しくなりました。
飛行機の時間まで多少時間が有ったので「うどんタクシー」を頼み運転士さんご推薦の讃岐うどん二店「あかみち」と「渡辺」で本場の讃岐うどんを堪能いたしました。
久し振りの国内旅行でしたがあまりの閑散さに地元浅草の観音様同様に観光に関連する企業のコロナ禍後が大変心配です。
毎朝の観音様境内のお散歩通勤では四月も中を過ぎ桜からつつじなどの季節の花々の交代が進んでいるのを感じます。
世界の新型コロナウイルスの感染者数も一億三千万人を超え死者数も三百万人に近かずいています。
日本でも新型コロナウイルスの変異株の感染拡大の懸念から不要不急の移動自粛要請が叫ばれていますが、マスコミによれば繁華街での特に20~30代の若者の自粛が緩んでいるようでそれに伴いその年代の感染者数の増加がみられます。
関西地区での医療崩壊も叫ばれ、政府により「まん延防止等重点措置」の適用対象を10都道府県に拡大したようです。
私は、中学二年時に東京五輪を経験した身で、人生で二度の東京での五輪経験は願ってもないことと喜んでいましたが、このコロナ禍であと百日を過ぎた現状での開催は個人的には残念ながら難しいのではと思っております。
東京五輪を巡っては、開幕まで百日を切り、国内外から大会に対する懸念の声が次々と上がる事態に発展しています。
そんな折英医学誌BMJは、今夏の東京五輪・パラリンピックについて、「今夏に開催する計画は緊急に再考されなければならない」と訴える論文を掲載しました。
論文は、「他のアジア太平洋の国々と異なり、日本政府は新型コロナウイルスの感染を封じ込めていない」と指摘し、その上で「限定的な検査能力とワクチンの展開の遅れは、政治的指導能力の欠如に起因している」と批判し五輪の開催を疑問視しています。
加えて、「国内観客数の上限はまだ決まっていないが、逼迫する医療体制と非効率な検査・追跡・隔離の仕組みは、大会を安全に開催し、大量動員によって起きる感染拡大を封じ込める日本の能力を大きく損なうだろう」との懸念を示しています。
国産の対コロナワクチンの開発の遅れが欧米に比べ遅れた事もこれらの大会に対する懸念を抱かせている一因にもなっています。
一説によれば、アメリカが対コロナワクチンの開発援助に一兆円をかけた際に日本では百億円での予算援助だったそうです。
その代わり目先のGOTOキャンペーンに二兆七千億円もかけたように、全くコロナに対しての政治的指導能力の欠如と海外から指摘されても仕方ないのではと思われます。
今後の日本は、現状での老政治家主導の体制の変革の無いままで本当に大丈夫のかと思わざろう得ず、特段若手政治家の台頭もなく残念ながら多くの希望を持てません。
これからどうする日本!
弥生三月も半ばを過ぎました。
世界の新型コロナの感染者数もついに1億2千万人を超え、死者数も266万人を超えたようです。
私の地元「浅草」も東京の桜の開花宣言から少し遅れてはいますが、「伝法院」当たりの桜は今月末には見ごろになるかもしれません。
新型コロナウイルスによる「緊急事態宣言」により、観光地「浅草」でも仲見世の土産物店やその周辺の飲食店に観光客は激減していますが、それでも休日には少しずつ観光客が増加しているようです。
しかし現在仲見世のお店や周辺の飲食店も時短の影響で20時頃にはほとんどの店が終了し行き交う人の姿もまばらで以前の賑わいを知る者にとっては寂しい限りですが、もともと浅草のお店は終了時間が早かったので人出が少ないことには慣れてはいましたが、若者たちにとっては飲み屋さんが20時に終了ではきっと物足りないでしょうが、緊急事態宣言解除後の飲食店でのクラスターは心配です。
例年に執り行われる「浅草寺本堂内陣での祝詞」での浅草寺本尊御示現浅草神社宮神輿の「堂上げ・堂下げ」も新型コロナウイルスでの観光客などによる感染を防ぐ為、例年のように公に講じされることもなく静かに執り行われるようです。
この行事は、「浅草神社」の本社神輿三基(一宮などの宮神輿三基)を「浅草寺本堂」に一夜奉安し、観音様と三社様に共に一晩お過ごし頂く催しです。
これは神仏分離以前の観音祭とも呼ばれていた「三社祭」の一部を再現し、例年三月のご縁日に斎行されます。
浅草が「正月」と並ぶ一大イベントである五月の「三社祭」も昨年同様の段取りになりそうですので観光客相手の店舗にとっては、大打撃が予想されます。
このように観光地である「浅草」は新型コロナウイルスによる観光客特に海外からの観光客の激減により新設されている宿泊施設も閉鎖や休業に追い込まれております。
多くの土産物屋さんや飲食店も地元の金融機関の融資で何とか続けているようですが、いつまでこの状態が続くかわからない現状では、老舗のお店の廃業が増えることも考えられ先行きの不安が募ります。
すでに私が幼い時から親しんでいた“佃煮屋さんやお煎餅屋さんにとんかつ屋さん”など廃業や休業中のお店も出てきています。
ワクチン接種の効果が出て少しでも以前のような活気ある「浅草」に戻ることを願っております。
相変わらず新型コロナウイルスの終息に関する話題が続いています。
15日現在世界における感染者数は1億873万人を超え、死者数も239万人を上回ったそうです。
関東では、2月4日に観測史上最も早い「春一番」が吹きました。
毎日の通勤散歩でも陽ざしがどんどん透明感を増してきて、周りの風景が春を感じる温かな色に包まれ始めました。
梅の花も奇麗です。
気分転換を兼ねて久しぶりに「XCスキー」に行きたかったのですが、この時期忙しい「かみさん」が疲れてるので「美味しいウナギが食べたいな~」の一言で急遽彼女がまだ行ったことがないこともあり「成田山新勝寺」にお参りを兼ねて「鰻」を食べに行くことと相成りました。
地元浅草から京成電鉄で成田へは約一時間半ほどで到着、私は数回「新勝寺」にはお参りしたことはあったのですが、大本堂を含め6カ所もの御朱印場所があるのは知りませんでした。
広い庭園を散策などしてお目当ての「川豊の鰻」の順番待ち、約2時間で久しぶりに自然と触れ合えました。
かなり待たされた事でお腹がすいていたので、奮発して「特上鰻重きも吸い付」を頼みましたが、これが量が多くてかみさんは完食できず、二人して満腹に!この日の夕食はパスとなりました。
次回は「上鰻重」でよいかと。
お土産に「米屋の羊羹」を買い、夕食代わりにお抹茶で美味しくいただきました。
また終了日時が迫っていた業界で話題の「石岡瑛子展」へ。
日時時間予約指定券を買ってあったので並ばずに済みましたが、当日チケットを買うのに待ち時間2時間半以上との大盛況の展示会でした。
展示会は、期待以上の圧巻のボリュームで彼女の60年代の「資生堂の仕事」から70年代の「パルコの仕事」「角川書店の仕事」そして80年代の「マイルス・デイヴィスTUTU」のアルバムのアートワークから映画や舞台の衣装デザインなどでアカデミー賞を受賞した事やオリンピックのアトラクションのコスチュームディレクターなどなど晩年までの功績を知る一大展でした。
正直あまりの展示物の熱量で見終わって少々くたびれましたが懐かしさもあり十分楽しめた展示会でした。
コロナ禍の過ごし方も万全な対策をしての外出も精神的には必要かと思いました。
皆さんはいかがお過ごしですか?
年明けからまたまた新型コロナウイルスの話になります。
13日現在世界の感染者数が9118万人を超え、死者数も195万人を超えました。
今年こそ明るい一年にと思った矢先に第三波の「感染の波」に襲われ首都圏一都三県に「緊急事態宣言」が昨年の4月に続き二度目の発令がなされました。
まだまだ今年も新コロナウイルスとの戦いが続いています。
政府の分科会によりますと“首都圏の感染状況が沈静化しなければ、全国的に急速に感染が蔓延する恐れがある”としています。
前回の発令と違い例外リストが多いのが気になります。
今回は飲食店とサービス業の自粛が中心で劇場・映画館・展示場・体育館・プール・スポーツジム・学校等が条件付きでのぞかれています。
昨年にひき続きリモートワークなども進んでいますが、前回の教訓での「3密を避ける行動」など経験したにもかかわらず、時間経過で人々の気の緩みが生じたのか前回に比べてなぜか思いのほか繁華街中心に人が増えている気がします。
政府が午後8時以降の外出の自粛に加え日中も不要不急の外出は控えるように呼びかけているにもかかわらず、繁華街には前回より人が増えておりその結果特に若い層の感染者が増加しています。
それに伴い以前から危惧されていた医療現場の逼迫が深刻化し「医療崩壊」が現実味を帯びてきております。
又分科会によると現在「爆発的な感染拡大」の入り口に差し掛かりつつあり、非常に深刻な状況だそうです。
欧米より感染者数が少ない日本でなぜそのような危惧がなされるか日本の医療体制の問題点が指摘されています。
今後どのようにそれらの問題点が解消されるか政治力が試されます。
13日には、関西及び中部など二府五県に「緊急事態宣言」が発令され今後は、これに続く自治体も増えそうです。
米製薬大手ファイザーの新型コロナウイルスのワクチンを日本でも接種を行う予定ですが、課題もあり「超低温」での管理や接種後の副作用など安全性や有効性の確認なども問われています。
ともかく新型コロナウイルスの終息が世界経済復活に深くかかわっておりこれらのコロナワクチンに期待がかかっています。
しかし私は、暫くじっと外出などを我慢して様子を見てから接種したいと思っております。
師走になり朝晩の寒さにめげそうな古希になった私です。
世界では相変わらず新型コロナウイルスの感染者数が増加しており累計7600万人を超え死者数も168万人を上回ったもようです。
東京都も感染者が増加傾向にあり夜間の人出も増えそれに伴い重症者数も増加の模様です。
特に若い世代にその傾向があり最近の気のゆるみがこれからも心配です。
また感染者の増加に伴う医療崩壊も医療関係に友人が多いので大変心配です。
新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるカギとなる予防ワクチンの複数が緊急使用許可を承認されましたが、その有効性や安全性について不明点も多いと思われます。
すでに接種者から健康被害をもたらす副作用も報道され個人的には接種をためらいます。
私もすでに古希を迎え重症化リスクが高い高齢者ですので出来る限り会食等は延期させて頂いております。
友人達との語らい等でパワーを頂いている身にとっては不本意でつらい日々が続いております。
そのせいかどうかは不明ですが、3月から体脂肪率も12%から15%へと増え体調管理に普段以上に気を付けております。
今年も残すところ10日余りとなりました。
昨年の今頃はまさか新型コロナウイルスにより世界経済が現在のようになるとは誰も予想だにしなかったと思います。
来年もこのウイルスによる感染被害は残念ながら続くと思われますが、予防ワクチンの効果による世界経済の立て直しと安らかな生活が戻ることを願うばかりです。
皆様もより体調管理に気を付けて、良いお年をお迎えください。
すっかり秋も深まり朝の通勤散歩の観音様境内では、寒さも一段と増し、もうそこまで冬の到来を感じさせる今日この頃です。
11月24日現在、新型コロナウイルスの世界の累計感染者数が5900万人を超え死者数も140万人に迫っています。
国内の感染者数も13万人超で死者数も2000人に迫っています。
今月は、紅葉と美味しい食事を楽しみに気の合ったお仲間と完全コロナ対策をして箱根・小田原巡りをしてきました。
GoToトラベルの影響もあり観光地にも以前よりは多少は人出が戻ったようですが、気のゆるみによるコロナ感染の反動が心配です。
世界中の医薬関連会社によるコロナワクチンの開発競争が行われており、すでに“ファイザー”や“モデルナ”など数社は、承認を得て供給体制を進めているようですが、個人的には接種後の副作用等の事を考えると接種するべきか複雑な思いです。
東京でも外苑前の銀杏並木などは、休日には大変な人出のようで二週間後の感染者数の増加が気になります。
東京在住の私が東京のホテルに泊まることは、基本的にはあまりないのですが(クラッシックホテル巡りの「東京ステイションホテル」を別として)GoToトラベルもあり、「上高地帝国ホテル」に宿泊した際のスタッフに会いに日比谷の「帝国ホテル」に先日宿泊してきました。(なぜか部屋がアップグレードされていました。)
せっかく帝国ホテルに宿泊したので、ディナー後“オールドインペリアルバー”でオリジナルカクテルを一杯と思い寄った時やインペリアルラウンジ“アクア”で優雅にアフタヌーンティーを頂いた際に感じたのですが、雰囲気に慣れないせいか大声で騒いたり、服装がマッチしなかったりしてせっかくの時間が多少残念な時間となりました。
ホテル側もきっと複雑な思いで接客していたのでしょうがGoToトラベル後に本来の客筋が戻るのか、興味があるところです。
東京以外でも大阪や札幌でも新型コロナの感染者数が増加し、GoToトラベルを一時中断することになった模様です。
このように気のゆるみが日本中で進むのが本当に心配です。
日本人本来の国民性からしても医療崩壊が起こった時の事をもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。
新型コロナウイルスの教訓から世界的に経済と医療とのバランスの難しさをどのように解決するかは今後の大きな課題となるでしょうね。
すっかり秋めいてきましたが、相変わらず新型コロナウイルスが猛威を振るっております。
ヨーロッパではまた感染者数が増加しているようです。
10月25日現在、世界全体での感染者数は、4271万人を超え死者数も115万人を上回ったようです。
旅好きの我が家でも新型コロナウイルスの影響で遠方への旅は自粛していましたが、それでもカレンダーを見ると今年に入りほぼ10回のプチ旅行を行ったようです。
四月に母が他界したので3か月は自粛しましたが、生前母が私達の日常のストレス発散も兼ねた旅を良く理解して応援してくれていたので7月からの旅は、ほぼ予定通り楽しんできました。
「GoToトラベル」が始まる前の旅では、当然特に恩恵を受けてはいませんでしたが、今月の旅からは、改修工事が終わり新装なった「箱根富士屋ホテル」で何らかのコストメリットがあったようです。
全国9カ所の“クラッシックホテル巡り”もすでに二巡目に入り、そのメンバーにないお初の「赤倉観光ホテル」や6度目の宿泊になる「上高地帝国ホテル」など気に入った宿は、その雰囲気・料理や居心地の良いサービスなどが我が家の感性に合っているようです。
また宿の周辺の食事処や美術館巡りも旅の楽しみですが、特に何にもしないで温泉に浸かったり本を読んだりするのも旅の醍醐味です。
セミリタイヤに近い毎日を送っている身ですが、やはりどこかではストレスが多少はあるようで旅に行くと心身の疲れを心地よく癒されることが多いようです。やはり健康一番ですね!
ここ数日の朝の通勤散歩で見上げる空模様が、秋の兆しを感じさせてくれます。
22日現在コロナによる感染者数は、世界で3110万人を超え死者も96万人を超えました。
この現状時に日本では、7年8か月続き歴代最長の3188日の安倍内閣は、「令和のおじさん」こと菅官房長官に首相の座をバトンタッチしました。
新政府は、コロナ禍による経済の立て直しなど前途多難の船出ですが、特に最優先課題のひとつが行政のデジタル化の遅れが浮き彫りになったことに対しての対策でしょう。
今の日本においてデジタル改革は急務と言えると思われます。
又経済再生へ縦割り行政の打破も期待されます。
“GoToトラベル”キャンペーンもようやく来月から東京都民にも適用されるようですが、少し早いような気もします。
個人的にはもう少し様子を見たほうがとも思いますが、旅好きの我が家にとっては大いに恩恵を受けることでもあり心中複雑な思いで見守っております。
この四連休で私の地元浅草も久しぶりに観光客で大いに賑わったようですが、二週間後の感染者数の増加が気になります。
このコロナ禍の終焉は、まだ先だと思いますが世界中の先進国が国を挙げてワクチンの開発を進めていますので、これに期待するしかありませんが、世界経済が以前のように戻るのは先が見えない以上当面は期待薄でしょう。
今考えると、以前の平和な日常がうそのように思えますが、現状を受け入れてこれからの生活を見直すしかありません。
私も健康の大事さを改めて考える良い機会になっております。
またまた新型コロナウイルス関係のブログです。
ここ数か月どうしても話題は新型コロナウイルス関連になってしまいますが悪しからず。
直近のデーターでは、新型コロナウイルスの感染者数が、全世界で2175万人を超え死者数も77万人を超えたようです。
国内でも判明した感染者総数が5万人を超え、うち死者も1100人超となり政府や各自治体も3蜜回避や防止の取り組みに懸命です。
又新型コロナウイルスの感染に伴い人々の生活や働き方は、ニューノーマル(新状態)へと移行していて、それに向けて企業や社会が動き出しています。
恐らく2020年は、この新型コロナウイルスの流行が学校の教科書に記載される年として記憶されると思われます。
今の状態を思うと私達の「健康の大切さ」がいかに大事かとこれ程心から思うことは、以前はなかったのではないでしょうか。
現在日本の平均寿命は、男子81.41歳・女子87.47歳だそうですが、今後は変化をきたすかも知れません、皆さんも健康の為に運動をしたり健康食品を試したり、健康に良いと思われる事の1つか2つは、日常生活に取り入れるなどして以前よりは具体的に健康意識の向上に向かっている方が多いと思われます。
私も新型コロナウイルスの影響で4か月休止していたスポーツジムの再開を待って以前のように週2回通いだしており、健康に良いと思われるサプリメントも毎日服用しております。
先日、ジムのインストラクターから休止前と再開時での「体組成データー」(体重が1.5キロ増え、体脂肪率は12%で変化なし)がほとんど違わない事で、“このペースで行けば後10年は健康でいられますよ”とのお褒めのお言葉?を真に受けて悦に入っております。
何事も“病は気から”と申しますので単純な私はおそらく、このペースでこれからも暮してゆくことでしょう!